年が明けて小5の1月から再び不登校に戻ってしまいました。 4月からは小6、そして更にその翌年にはいよいよ中学生という現実が迫ってきています。地元の中学校は1学年1クラス、受験するにも学力が全く追い付いていない….どうしようかと悩める日々でした。 息子の今後のことで悩んでいたその頃、息子の8歳上に娘がいるのですが、大学1年性で札幌に住んでいました。なんと娘はその時強迫性障害を発症していて、家から外に出るのが恐怖に感じ始めていたのです。娘から電話で状況を知らされ驚きました。娘を
小3の2学期から不登校になりましたが、その時の校長先生は、"他の生徒に会うのが怖いなら、給食室の横の休憩室に行ってみてはどうか?" ということを提案されましたが、そこの部屋は小部屋で誰もいません。生徒がいる教室からは少し離れていたので生徒たちの声は聞こえなく静かでした。校長先生は「何かあったら室内の電話は職員室と繋がっているから先生と話せるよ」と言われましたが、大人が一人でその部屋で半日過ごすのも孤独を感じそうな部屋だったので、10歳の子供が過ごせるわけもないし、行きたがらな
不登校だった息子のはなしの2回目です。 発達障がいとわかって以来毎月診察や療育をしてくださっていた先生に、ADHDやASDの特性やフォローの仕方を丁寧に教えていただいていました。その中に『好きなことに寄り添う』というものがありました。 その1でも書いたように、息子は高速道路が大好きだったので、彼を外に連れ出すならお金がかかるけど高速道路しかないと考え、連日走りまくりました。学校の学年行事で”地域の産業を知る”というのがあった時は、宮島まで出掛けて”宮島塗りや杓文字制作、もみ
社会人の娘と思春期真っ盛りの息子がいます。 息子はADHD+ASDです。 息子が小3の夏休みの登校日に、クラス内で受けた過度な悪ふざけが原因でPTSDを発症し、そこから不登校が始まりました。他人を怖がり、家から出れなくなってしまいました。その時、同じ発達障がいの息子さんを持つ先輩お母さんが「とにかく、無理矢理でもいいからドライブに連れて行ったり、大型スーパーに連れて行ったりして家から出ることをしないとダメだよ。でないと、益々家から出れなくなるよ。頑張って!」とアドバイスをして
社会人の娘と高校生の息子がいます。息子はADHD+ASDで色々な困り事に遭いながら気がつけば青春真っ盛り(?)!!! そして昨年秋からは高齢の両親との同居をスタートさせました。 自分が高校生の頃、"美大に進学したい!” と、両親を説得して高い授業料の志望美大に通わせてもらっておきながら、某家電メーカーのデザイナーとして4年ほど勤務し次に技術部門へ移動。結局トータルで7年勤務して結婚を機に退職。子育てしながら何とか美術に関する仕事ができないかと色々考えながら27年も経過。。。