冬来たりなば 春遠からじ
冬至 「陰極まれば陽に転ず」。そしてなんとなく口から出てきたのが、
「冬来たりなば春遠からじ」という有名なシェリーの詩の一節。
よし!note に書こう。と思って本棚から「イギリス名詞選」(平井正穂編 岩波文庫)を取り出して、昨夜読みました。
「西風の賦」。
だめ、なんか入ってこない。
志村ふくみの本は、ほとんど前のめりで読んでいますが、シェリーの詩は、やはり少し遠くにある感じです。
英語も、そして日本語も。
まずシェリーの説明。
「生まれつき不羈奔放で桎梏を嫌悪し、・・」でつまずく。漢字が読めない(~_~;)なんとか調べて、「ふきほんぽう」「しっこく」とわかる。
喇叭も英語のtrumpet で、もしかして「らっぱ」?とわかる。
そんな感じですが、註釈を読んで少しわかったとこを書きます。
シェリーはこの「西風の賦」を書いた頃、二人の子供を相次いで失ったそうです。それを知るだけでも深い理解に少し近づきますね。
「願う自分のこの惨めさを、私は悲しむ。西風よ、波のように枯葉のように、雲のように、私を軒昂(けんこう)たらしめてくれ!
私は今人生の荊(いばら)の苦痛に悶えている!血を流しているのだ!
永年にわたるこの世の重圧が、あまりにもお前に似た者を、不羈奔放で誇り高き者を、━私を、呪縛してしまったのだ。」
その後、まだ続きますが、この「西風の賦」の最後が、
「予言の喇叭を響かせてくれ!おお、西風よ、
冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ!」
深い理解には遠いけれど、編者の平井さんの「はしがき」
「シェリーもまた(他の詩人も)「なま」の人間として生き、愛し、考え、苦しみ、喜び、そして死んでいった。われわれと同じように。」
を読むと、更に心に響きます。
そしてシェリーがこの詩を書いたのは、イタリアですが、
「遥かな西にある小さな島国と遥かな東にある島国日本。」共通の何かがある気がします。イギリスと日本。
日は長くなりますが、寒さは、これからが本番です。
今、大変な人も、そうじゃない人も、「春」に向かって良い流れになっていきますようにと願います。
「冬来りなば春遠からじ」
やはり響く、そして名訳ですね。
さあ今日も深い呼吸で希望を持って生きていきましょう。
読んでくださってありがとうございます。