「無用の用」の教え
「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」(河合隼雄 講談社)に
「怠け」が「創造」をはぐくむ という興味深い章があります。
昔話には、怠け者が失敗して転落する話、働き者が幸せになる話、結構ありますよね。
でも逆に、たとえば日本の「三年寝太郎」などの、「くっちゃね」ばかりしてる怠け者が幸せになるという話もあります。古の人たちの「無意識の願望」というのも含まれてるようですが、私は「無用の用」の教えというところを読んで、なんというか視野が広がったような、そんな気持ちになりましたのでご紹介します。
「荘子」の人間世(じんかんせい)篇に書かれている「無用の用」。
大工の石(せき)が、巨大な櫟(くぬぎ)が神木に祭られているのを見たが、これに一瞥(いちべつ)もくれなかった。それは、この木が舟をつくれば沈むし、棺桶をつくれば腐る、柱にすれば虫に食われるという具合に、まったく無用の大木であることを知っていたからである。
しかし、夢にその櫟が現れ語る。
「おまえはどうして自分を無用というのか、どうせ人間に役立つ木と比較したのだろう。しかし、考えてみると果実のなる木は果実の故に、もぎとられ枝を折られして、天寿を全うできない。結局は自らの長所が自らの命を縮めている。有用であろうとして愚かなことになっているのだ。これに対して自分は無用であろうとつとめてきたのだ.・・・」というのを聞いて、石は無用の用の意味を悟る。
「人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない」という神谷美恵子の言葉にも通じるものがあるなと思いました。
なにかの成果を求め努力することも大事だけれど、
「自らの運命を素朴に充足させて生き、何かのためになどと考えることのない生き方が、いかに偉大であるか」ということを、私も大工の石と同じように考えさせられました。
ただ素朴に「自分」である。
ただ「自分」を味わい楽しめばいい。
というふうに考えると、note も続けられそうだなと思いました。
時々やってくる自信喪失の大波もこえられるかも・・。
何が役に立つかなんてわからない。
古い価値観の世界から飛び出し「自分」を知り、自由にのびのびと生きていきたいと思います。
ということで、今日も肩甲骨まわりをほぐして、深い呼吸を意識して、
「自分」を生かして過ごしていきましょう。
読んでくださって本当にありがとうございます。
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