「時は満ちる!」
バラがきれいな季節ですね。
写真のミニバラは蕾の時は淡いピンク。
咲くと更に淡い色になり、最後は
薄緑になって枯れていきます。
人生のお手本のような大好きなミニバラです。
以前住んでいた家には、白のモッコウバラで
アーチを仕立てていました。
今の家に引っ越してくる時に、挿し木にして
持ってきましたが、私の病気がひどくなった時に、
枯らしてしまいました。
憧れのつるバラも
大きな植木鉢に植えていましたが、
やはりその時期に枯らしてしまいました。
ピエール・ドゥ・ロンサールは、
一輪咲いただけで、その場の空気が変わるほど
優雅で可憐でした。
大人気の理由がよくわかります。
今年は「マダム・フィガロ」の
優しく淡いピンクが気になっています😊
でも実は日本の野バラ、テリハノイバラのような
白の一重のバラもとても好きです。
モンゴメリの小説の中で、Anneが、
自分をずっと可愛がってくれた
マシュウのお墓に植える「スコッチローズ」も
同じように、一重の白いバラなんですよね。
スコッチローズの佇まいとマシュウが重なって
とても印象に残る大好きな場面です。
イバラといえば、グリムの「いばらひめ」
(ねむりひめ)。
昔話全体を通じても、
質が高く「芸術的な雰囲気」を持っていると
言われるこのおはなしは、
大変奥深く、読む度に発見があります。
姫は占い女の予言通り、15歳の時に、
つむに刺され
百年の眠りにつきますが、
「ちょうど百年経った」そのタイミングで、
すばらしい王子が現われ、ハッピーエンドとなるわけです。
「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」
(河合隼雄 講談社)の中に、
「百年の眠りと「時」の満ちることの意味」が、
この物語の強調点であると書かれています。
そして私たちの人生に置いても、
「このような「時」は存在する」と。また
「われわれは時計によって計測し得る時間としての
クロノスと、
時計の針に関係なく、
心のなかで成就される時としての
カイロスとを区別しなければならない。
時計にこだわる人は、
重大なカイロスを見失ってしまう。」
なんだか少し難しくて、
自分なりの解釈ですが、
私は最近よく思うのです。
この「満ちる時」は、人によって違うはずだと。
ですから、
○歳になったから、△△するのが当たり前、
○○だから、××したほうが良い。などという
多くの人の常識に心が支配されていると、
本当の意味の、その人のとっての「満ちる時」を
見失ってしまうのではないかと。
そしてそれを教えてくれたのが、私の場合は
「治らない」と言われた病気でした。
植物をみていると土の中にある根の様子と、
地上にある葉や花の様子は連動していますし、
時差はありますが、全く同じなんですよね。
植え替えをさぼっていて、根が窮屈で新しい根が
出られない環境だと、葉の先も枯れていくし、
地上の花が枯れていても、根が生きていれば、
「時が満ちて」咲く日が必ずきます。
人生において、辛い時というのは、
言ってみれば「根を伸ばす」
絶好のチャンスなのだと私は思います。
心が萎えて力が出ない日があっても、
一晩中泣く日があっても、
自分を信じて、自分の中の可能性を信じて、
「生きてさえいれば」
真っ白い根っこが、
若々しく瑞々しい根っこが
伸びてくるのだと思うのです。
何歳であっても、ただ寝ているだけの人でも、
「生きていれば」根は伸びるのです!
ですから、
くさらず
おごらず、
あきらめず、
「自分」を苦しめる古い根(観念)は、除いて、
新しい真っ白の根を伸ばし、
時が満ちるのを「楽しく想像して」いけたらいいな
と思います。
ここまで読んでくださったあなたも、
そして私も、
亡くなるその日まで、
自分らしい花をたくさん咲かせられますように♡
長くなってごめんなさい。
読んでくださって本当にありがとうございます。
良い週末になりますように♡
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