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「心ときめきするもの」

数年前、東洋医学の力で病気を治してもらったことがきっかけで、中国語の勉強をはじめました。
やっていくうちに、難しくて挫折しそうになったり、
気持ちが乗らなくて、能率が悪かったりという日も多いのですが、なぜかそういう時に、日本語の「古文」を読みたくなって、読むとほっとする自分に気が付きました。

学校の古文の勉強はさぼってばかりでしたが、「なんとなくわかる」のがうれしいし、その言葉の奥にあるものも、「な~んとなくわかる」時、「私、日本人なんだ!」と思って何だかやたらと心が落ち着きます(笑)
「帰るところがある」という感じがするのです。

これは予想外のことで、中国語を始める前は、まさか自分が「古文」を読みたくなるとは、思っていませんでした。西洋の文化の方がなじみがあるし、生活も決して和風ではないので。これは不思議だし、ちょっとうれしいです。

ピアノが上手な友人がギターの練習をはじめて、上手に弾けなくて、へこんだ時、「そうだ!私ピアノが弾けるんだった」と思ってちょっと元気になる。その感覚にも似ているかもですね。

今読んでいるのも、「学び直しの古典 心ときめきするもの」(清川妙 新日本出版社)ですが、その中に、万葉集の好きな秋の歌があって、noteに書くために、萩の花の写真を撮りたくて、一時間も歩いたのに、みつけられなくて、とぼとぼ帰ってきました。下を向いて歩いていたら、道路の脇に、「ヒメツルソバ」の葉が紅葉していたので撮りました。
萩の花じゃなくてごめんなさい。

でも歌はすてきです。

我が背子(せこ)がかざしの萩に置く露をさやかに見よと月は照るらし

(あなたがかざしていらっしゃる萩の花に光る夜露。その露までもはっきり見なさいと、月はこんなに明るく照らしてくれているのでしょうか)

かざしとは、花や木の枝などを、頭髪や冠などに挿したもの、草や木の生命力をもらうためのようです。
ただ美しいから飾るというのもいいけど、植物の生命力をもらうためというの、良いですよね。古の人と気持ちが通じる気がします。

そしてこの歌は普通は、月見の宴での歌と解釈されているらしいのですが、「それよりも月明りの夜、相逢う恋人たちとみるほうが、風情がある」と書かれていて、私も絶対そっちの方がいいなあと思いました。
下の句の「見よ」と月は照るらしも良いですよね。

古文が好きな人も、そうでない人も、
「心ときめくもの」は、心身ともに健やかな毎日を過ごすには、重要だそうですので、秋の夜の静けさの中で、自分の「心ときめくもの」に正直になり、それを大事にしていきましょう。

それでは今日も深い呼吸で、よい時間をお過ごしください。

読んでくださってありがとうございます。



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