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学校教育を受けずに輝いた人

昨夜、なぜか急にファージョンの「パニュキス」というおはなしを読みたくなって読みました。
「パニュキス」のことを、翻訳の石井桃子が「ふしぎな美しさを持つこのお話しが、うるさい注や説明で傷つくことなく、受け取っていただけるように願っています」と書いていて、それを読んだらnote に書くのはやめとこ、と思いました(^^; 湖の描写など、本当に美しい!石井桃子の訳もすばらしいです。

静けさの中でファージョンを読むと、心が落ち着き柔らかくなり、自分に戻っていく感覚があります。

エリナ―・ファージョン(1881-1965)は、イギリスの児童文学の作家であり、詩人です。
彼女は学校教育を受けていません。彼女の家には「天国をでていく」や「ムギと王さま」の表紙のような「本の小部屋」があり、幼い頃から自分の想像力を存分にのばすことのできる環境で育ったようです。

若い頃は人見知りだったことなどは、アメリカの詩人エミリー・ディキンソンとも共通していますね。ディキンソンも学校に通ったのは、確か一年だったと何かで読みました。

子ども時代に「みんなに合わせる」「褒められるために良い子でいる」ということを、しなくて済んだ彼女たちには、みずみずしく繊細な感受性が残っていて、「個」の輝きがあります。
また同時に外側 子どもや大人、動物や植物、大自然への広がり、あたたかさが感じられます。世間の人たちから「変わった人」と言われていても、
彼女たちの体を通して、私たち人間の中にある真実が出てくる時、そこにはその言葉の中には、光があるような気がします。

「マローンおばさん」という詩も、寒くなると読みたくなります。ファージョン自身も気に入っていたというエドワード・アーディゾーニの絵がとても良いです。

「マローンおばさん」はファージョン自身に似ていると言われ、人も動物も彼女のところには、みんなの「居場所」があったと知ると、「自分自身を充たすことができた人」だから、みんなの「居場所」を与えられたのではと思ってしまいます。昔読んだときは、ピンとこなかったのですが、これは決して自己犠牲ではないと、今はわかります。

ファージョンもディキンソンも、ネコが好きだったようです。私はネコを飼ったことはありませんが、ネコの自由気ままで媚びない精神?は見習うところがありますね。

昔は「みんなに合わせる」ことも、多くの人にとっては必要だったかもしれない。
けれど、これからの時代は、人に合わせることにエネルギーを使うより、
「自分」を認め、「自分」を充たし、きちんと手入れし、「自分」を生かしていくことが、結局は世の中のためになる気がします。
心身共に健康に生きていく以上の何かがありますね。

学校に行っても行かなくても、若くても歳を重ねていても、そういう人が、両手を広げのびのびと呼吸し、世界の美しさを感じられる人が、ひとりでも増えていくといいなあ。
自分もそうありたいと思います。

今日もリラックスして、口角上げて過ごしましょう(*^-^*)

読んでくださってありがとうございます。


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