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🧠自分好みにカスタマイズ

言葉に意味を持たせるのは人である。

自分が認識してる赤色を全く同じように他人が認識してるとは限らない。

視覚とは曖昧なものである。

それと同じように、「私は悲しい」といった場合にも、その悲しさを言葉だけで完全に他人に伝えることは出来ない。

言葉とは曖昧なものである。

これに限らず匂いや味、触り心地など、五感全般が曖昧なものであると言える。

そして、曖昧なものの意味付けは後からいくらでも修正可能なのである。

1+1が2じゃなくても良いというのが五感の無限の可能性であるとワイは思っている。

もしそれを実感してみたいという人がいたら、「疲れたぁ」と言いながら万遍の笑みでダンスでもしてみたらいい。

恐らくその時発せられた「疲れた」という言葉は従来自分が慣れ親しんで使っていた「疲れた」とは違った意味を持つであろう。

言葉にポジティブネガティブがあるわけではない。

その言葉を発している人の認識にポジティブネガティブがあるだけだ。


ネコ美

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