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🧠スネカジリスト
突然だがフラミンゴのイラスト兼漫画担当うお田さんはスネカジリストなのである。
スネカジリストという言葉を初めて知ったという人もいると思うので説明しておこう。
スネカジリストとは親のスネを齧って生きている人間の事を指す。
スネカジル
スネカジラー
スネカジリスト
と言った具合に表すことが出来、スネカジリストは無論最上級の親のスネかじりなのである。
今日はそんなうお田さんがスネカジリストとして常日頃から心に刻んでいる心得を教えてくれたので、忘れないうちにここに書き留めておこうと思う。
まず開口一番うお田さんが口に出したことは両親に対する感謝である。
やはり血の繋がった両親とは言え、脛をかじられせていただくというポジションとしては親より下であることは否めない。
そんな覆せない上下関係があるにも関わらず、子供であるということに甘んじて、尚且つ子供であるというその事実一点張りで横暴な態度を取るやつはスネカジリストの風上にもおけないということらしい。
次に、これは肉親だからとか他人だからとか関係なく、考えてみれば当たり前なのだが人というのは得な人間に対しては返報性の法則も相まって邪険に扱うことはしない。
対して損な人間は考えずともわかるだろう。
この損得勘定が緩いやつは息の長いスネカジリストにはなれない。
と、うお田さんは言う。
例えばうお田さんが率先して行っていることを何個か挙げてみよう。
まず家庭に愚痴を持ち込まないという事だ。
いついかなる時も場を和ませる人間は重宝される。
愚痴というのは相手にそれを聞いていただく事になるので、それでは両親の得になることは何一つない。愚痴は聞いても聞かれるなである。
また、定期的な貢物は欠かせないという。
年貢を納めているような感覚で両親の好物をあてがい心象を常に良く保つのだ。
これは即効性はないが持続性は抜群だ。
何か予期せぬ不手際があった時に「こいつはこの間〇〇を買ってきてくれたからなぁ」という援護射撃をしてくれるのがこの過去のプレゼントだ。
これにより、うお田さんは車のバンパーが落ちるほどぶつけた時1回の謝罪でその日両親と夕飯を共にしたというのだからこのプレゼント大作戦は侮れない。
日頃の徳の積み重ねがいかに大切であるかを思い知らされるエピソードである。
昨今では職業としてのスネカジリストではなくアマチュア意識の奴が多いとうお田さんは嘆く。
たしかに、そんな半端なスネカジリストをのさばらせておくと、極上のスネカジリストにまで風評被害が及ぶという懸念は否めない。
1人のスネカジリストの行動が全国のスネカジリストの地位すら脅かすということを今一度考えてみてほしいものだ。
ONE FOR ALL ALL FOR ONEである。
1番気を遣わなくてはいけないのは遠い他人ではなく寝食を共にする肉親なのだとうお田さんはワイの目を真っ直ぐ見つめて言った。
まったくもってごもっともと言わざるを得ない。
そして最後にうお田さんは
「俺がスネカジリストの星になる!」
と力強くワイに語ってくれた。
その目には一点の曇りもなかった。
ネコ美