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海水浴と栗木の下駄

これは昭和14年か15年くらいの話であると思う。

湘南に海水浴に行くのは戦前からのことで浜茶屋を使うのも当たり前である。母が幼かったころにはフォードが3台あって、自家用車としてもよく使われていたらしい。

夏のある日、母一家は祖父の運転で祖母、母、叔母で絵に島に海水浴に行った。当時、自家用車で海水浴行くなんて、今でいえば自家用のヘリコプターでゴルフに行く、くらいに思われていたそうである。

家族そろって、浜茶屋で涼みながら海水浴を一日エンジョイした母一家が浜茶屋を後にするときに事件は起きた。

祖母が「私の下駄がない」と言い出したのである。どうやらみんなで履物を履いて浜茶屋を訪れたらしく、祖母だけが履物である下駄がなかったのだ。

現在と異なり、浜茶屋の経営は渡世の方、その筋の方が仕切るのが戦前は当然であった。戦後だってつい最近まで、犯収法や暴排条例ができるまではその方面の方のシノギであった分野である。

祖母は気が強い人で、怒り出すと権力、相手の体力、相手の背後なんてものは関係ない人で、「自分は正しい。勝つ!」という人生哲学であったから、当然、一人黙って裸足で浜茶屋から帰るなんてありえないわけで、浜茶屋の経営者を問い詰めたのだ。困った浜茶屋の経営者はその界隈を取り仕切る方を呼んできたわけだが、そんなの何の足しにもならなかった。江の島を仕切っていた方に「高価な栗木の下駄の代金を弁償すれば土下座は許してやる」とすごい剣幕で言ったそうで、これには江の島を仕切っていた方も驚いて参ってしまい、相当な額を現金で祖母に渡した。「お母さん、ウチの者の不行き届き、誠に申しわけごさんせん。これで悋気を収めてくださいまし。」という詫びの言葉もいただいた。下駄をなくされて迷惑をかけられた、と思っていた祖母は当然のように金を受け取り、「こんな目にあったのは初めてだ。恥かかされてどのつらさげてればいいのか」と悪態をついた。

一人だけ裸足で怒りながら祖母は家族とともに止めてあった自家用車に戻った。そこで母が見たものは祖母がなくした、と言い張ってその筋から金まで巻き上げた栗木の下駄であった。高いものでなくしてはいけない、と祖母は一人裸足で浜茶屋に向かったのが真相であったのだ。祖母はそれをすっかり忘れて浜茶屋、および地域の民間管理機構の方に大クレームを入れて賠償させたのだ。

祖父はそれを知って真っ青になった。しかし、金を返しに行って詫びを入れたら今までの祖母の剣幕から言って袋たたきで済めばいい方であろう。しかし、当の祖母は怒りが収まっていなかったのか、見なかったことにして、祖父に最上段から車を出して帰途につくことを大声で怒鳴りつけたそうである。

帰宅後、頭が冷えてから祖母はぼそりと「おっかないことになった。とんでもないことになった」とだけつぶやき、寝てしまったそうである。いや、あなたが勘違いで完結しちゃったからじゃないの、とは言えず、祖父、母、叔母はそれを見て唖然としてしまったがどうしようもないのでそれきりになったそうである。しかしながら翌年からは戦争のこともあり、自家用車で海水浴なんて娯楽はむつかしくなってしまったし、翌年は海水浴には行かなかったと聞いている。

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