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7月読んだもの観たもの

磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか』
書籍。インタビュイーの、拒食や過食の経験を読みながら、小中学生くらいの時の、ありえないくらい狭い視野を思い出す。どんな不安もすぐに過剰に膨らみ、1人で抱え込んでしまう頃の記憶。疾患のことなので素人があれこれ言うべきではないが、その経験を読みながら依存症のこともぼんやりと思い出す。
この本では、摂食障害というものをどう理解するか、ということに疑問を投げかけていて、論の中で現状の理解のされ方に則って、摂食障害の分析をしてみせ、それでが不十分であることを示し、個別具体的な体験から汲み取るべきであると、論を展開させていく。
西洋医学などの専門的な見地で捉えず、体験をただ話すというオープンダイアローグの手法と著者の論の展開がちょっと似通っているきがして、いいなぁと思った。
最後まで読むと、やっぱり何かものの見方がかちこちに固定されてしまうというのは、あんまり良くないな、というきもちになる。
やっぱでも摂食障害というのは、疾患として認識されているが、当人にとってはただある自分の行動だ、ということを、当人でない人間は分かっておくべき、と思った。差別において、どれだけ知っておくのが重要かというのはあるが、それとはまた別に被差別者のカテゴリに含まれる人に対してはその知ったことの枠組みではなくその人自体と関わるのが重要であるのと同じ。

サリンジャー『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア━序章━』
小説。たぶん2〜3ヶ月かけてゆっくり読んでた。大工よ…の方は読みやすいんだけど、シーモアの方が、ゴリゴリと噛み砕くように読まなければならないタイプで、時間がかかった。『ナインストーリーズ』の中の『テディ』という短編や、『フラニーとズーイ』がもっとよくわかってから読むべきなのかなという気がする。

オルガ・トカルチュク『逃亡派』
小説。冒頭からもう、とても好きな文章。面白かった。
こんな文が書けたら嬉しいし、書いていたらきっと楽しい、と思う。映画ではなく小説である理由とはこういうところにあるので、こういうものを存分に書きたい。すごい読みながら嬉しくなったので、風呂で音読しながら読んだ。
とても細かい章というか、短編というか、から成っていて、それをとにかくざらざらざらっと口に向けて放り込み、もしゃもしゃと神妙な面持ちで読み下していくと、著者の主張がぼんやり見えてくる。そのまま、ずっともしゃもしゃと読む心地よさがある。
プラスティネーションに関する執拗な言及を読みくだしながら、標本について興味を掻き立てられたことはあまりないが、こういう風に体感するんだな、と思いながら読んだ。

柴崎友香『百年と一日』
小説。事実や感情が淡々と書かれ、その事細かさから、そこにあったであろう強烈な感情や膨大な時間を想像してしまうのに対して、抑制されたその文章の感じが、フィクションの浮遊感を醸し出している。感じがする。
翻訳物を読むのが好きなのは、こういうところにあるな、という感じというか、マジックリアリズムなんかもこういう理由ですき、と思う。最後まで淡々と読んだ。

ロロいつ高シリーズ『ほつれる水面で縫われるぐるみ』『とぶ』
演劇。贅沢2本立てだったし、最前列だった……うれしい……。
絶妙に現実がフィクショナルに揺れるのが心地良くて、お弁当箱の中のセーラーマーキュリー……と思う。変身って最高だからな。わたしの幼少期の写真はウルトラマンのポーズが多い時期があって、ぜんぜんウルトラマンの記憶はないのに、ちょっと懐かしい感じがする。たぶんティガ。
とぶの方も最高だった。いつ高シリーズといえば、高校演劇のフォーマットだから、セットの準備から観る、というのが面白いなーと思っていたのが、それを作品内に飲み込んでしまうとは!!とは!という驚き。しかも机を運ぶという行為って、とても学校生活でドキドキする。文化祭とかでしこたま机運ぶよな……って思う。
途中から窓が設置されて、見え方が変わることや、それに登場人物たち自身がおぉ〜ということ、窓枠が観客と舞台の間に移動して急に見え方が変わるという瞬間。カーテンに扇風機の風が当たる瞬間。それらの同じものを複数の人間が見る瞬間が、例えば群青と太郎が窓枠を運んでくること、群青が扇風機を持ってくることで、引き起こされること。そしてなんと言ってもサイキック運動部である。サイキック運動部元部員のお前の実力はこの程度かぁ!という殴り込みと、同じものを一緒に見ながらやる、サイキックバスケ(私たちにも同じものが見えることに感動する)。それが太郎と将門の演技にも影響して、ああいう上演になるというのが、たまらなく愛おしかった。
なんでも説明したくなってしまうな。全部人に説明してわかって欲しくなってしまうくらい、よかったな。

ジョルジュ・ペレック『Wあるいは子どもの頃の思い出』
小説。著者が自分の過去を思い返すテキストと、フィクショナルな思い返しのテキストが交錯している。なんか、不思議な感じ。
名前を引き剥がされること、男ばかりの環境、食べ物への飢え、不平等な審判、支配者は支配者で、それ以外の支配されているもの同士が、争い合うこと。初心者という存在。などから、結末をちょっと心によぎらせながら読んだ。

『漫画で読破 戦争論』
漫画。クラウゼヴィッツの戦争論が、漫画になっているやつなんだけど、後半クラウゼヴィッツが死んでからの世の中の話についてもクラウゼヴィッツが語ってて、そりゃ違うやろってなってしまった。
でもヨーロッパにおける戦争の歴史がよくわかるので、第一次世界大戦と第二次世界大戦の異様さとかがわかって勉強になる。

『金色のガッシュ』13〜16巻
漫画。完走した…!!! いやー気持ちよ!とおもう。
伏線もきっちり回収して物語もきっちり綺麗に終わるし、話は間延びしないしずっと面白くて、価値軸がぶれない…。気持ちがいい!!! 
終盤に向けて、ガッシュが王の貫禄を身につけていくのとか、絶対ガッシュじゃ足りないでしょ、という部分を補ってくれる友人たち……となる。いい話だった〜〜。

ヤチナツ『20時過ぎの報告会』
漫画。こういう系の漫画は手元にあると読んじゃう。
が、こういう要素最近ポインティに埋めてもらってるな!と思う。

ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』
書籍。ロシアの収容所で、プルーストの講義をしていた収容者がおり、その講義録。
図書館の返却が迫り駆け足で読んだ。収容所からの遺書と同じように、講義、勉強によってその時間を過ごしたというのはあることなのだな、と思うけれど(レーヴィもダンテを思い返していたし)、そういう過ごし方をする人と、本を書く人というのは層がかぶるだろうなと思うので、実際にはまた他にも様々な過ごし方をした人がいただろうと想像する。
講義録を読みながらプルーストについての興味が深まる。思い返すということや記録することについて考えるならば、たぶんプルーストは避けて通れないし、『風の歌を聴け』とどこか繋がった捉え方ができるのではないかなという気がしていてきになる。

遠藤達哉『SPY×FAMILY』1〜最新話
漫画。友達から面白いとは聞いてたけど、やっぱご機嫌で読んじゃう、面白い。スラスラ読めてストレスがない、と、めちゃくちゃ思うが、技術的なこととか全然気づいてなくて、ここがすごいよって指摘している人をみて、すごい絵による表現が上手いんだな、と思う。
(もう、ジャンプラから離れられない)

サン=テグジュペリ『戦う操縦士』
小説。ぬぅ、と思って読む。
フェイクスピアを観た後に、サン=テグジュペリについて色々考えた結果、これを読むべきでしょう、と思ったので読んでみたのだが、やはりかなり深く絡み合っていたので読んで良かったなと思う。
第二次世界大戦の、フランスの軍で飛行の偵察部隊に所属した主人公が、ほとんど死ぬだろうという気持ちで飛び出した偵察飛行に行って帰ってくる間を描いた話。その引き延ばされた時間に、実際の飛行や死を目前としたときの時間の動きを想像する。最近、何かを思い返して書いた文章や、体験について書いた文章の時間のスローモーション感というものが気になっていて、まさにそれだなと思った。
内容(思想)としては、私はこの本の言っていることを今強く肯定することはできないが、しかしもっと深く考えて検討する必要のあることを差し出されていると感じた。
よくよく咀嚼したい。

中村佑子『マザリング 現代の母なる場所』
書籍。シアターコモンズで、著者の『サスペンデッド』という作品を観て、好きだなぁと思ったので読んでみることにした。ちなみにサスペンデッドはAR作品で、精神病の母を持つ子どもの視点で語られる作品。
わかりそうでわからない、私もそう思うと思いそうで思わないような距離感のことが書かれていて、読みながら自分の領域が広がるのを感じる(自分の環世界を広げている!)。わたしはそうは思わないな、と明確に思うところもあるけれど、これについてはわたしは言葉を持っていないな、ということにも出会い、咀嚼しながら読んだ。
穂村弘と川上未映子が対談をしている『たましいのふたりごと』で川上未映子が子どもについて語るのを読み(子どもは人生童貞だ、の話が脳に残っている)、母になるという体験についてその時から明確に興味があったと思うが、これを読みながらその気持ちを深める。

新田たつお『静かなるドン』1〜33巻
漫画。なんだかんだ読んでしまう。価値観がバリ古いがもはやつきぬけていて、そういうもんだと思って読み下してしつつも、こういうことが堂々と書ける空気感の時代と、現代の違いも体感できて、なるほどなと思う。
途中、普段麻雀してるシーンとか全然ないのに幹部連中とドンが麻雀してて、ロン、って国士無双で上がったら、し、静かなるロン!って言ってるのとか、絶対それ言いたかっただけやんって感じで、ゲラゲラしちゃった。そういうくだらないギャグが多い。
徐々にまじ人死ぬやんゾーンに入ってきて、ええんか……!と思う。流石にここまでドンパチ派手にやれないだろうな実際のところは、と思うけれど、現実の中でどのように極道が生まれ、変化していったのかはちょっと興味出てきてはいるので、なんか読んだりしてみようかな〜ってほんのちょっぴり思う。

西加奈子『i』
小説。西加奈子のことはとても大好きだけど、小説ではその西さんとはまた違くて、すごく好きな部類ではないかも…と思っていたことがあったが、これは1〜2ページ読んだあたりで、ものすごい好き!!!となった。すいすいと読む。『サラバ‼︎』を読んだ時に、あの主人公の学校の友達だった、音楽とかにすごく造形の深い男の子が、地震によって、急に姿を見せなくなってしまうという展開に何か心が留まるところがあったのだけれど、『i』はそれに対する返答のようで、噛みしめながら読んだ。また読み返したい。

水村美苗『私小説 from left to right』
小説。日本語と英語がちゃんぽんになっているのだけれど、結構違和感なく読める。バイリンガルニュース(マイケルは英語で、マミちゃんは日本語でお喋りをするPodcast)のマミちゃんが、ジャパングイッシュと呼んでいたやつ。現実にはない日本に思いを寄せる様子は、『三人姉妹』みたいだな、と少し思った。
中盤から終盤にかけて、ぐうんと飲み込まれていって読む速度が上がったのが心地よかった(日本語の割合が増えたのもあるかもしれないけど)。ばらばらのように思える物事が、薄くつながっているということを示すことに、小説って向いていると、勝手に思っていて、結構それだった。こんな書き方ができたらいいなと思う。やっぱり長い小説はいい。

ドリルチョコレート『アンジェリーナ3:49』
演劇。終盤、うわぁ……みんなで車乗ってフェス行きた……ってなった。すごく久しぶりの友達と見に行った。

あなたのそばで明日が笑う
1時間ドラマ。東日本大震災から10年のドラマとして作られた作品。ずーっと録画していて、ようやく見た。
そういう録画が積もり積もっている。

もしもし、こちら弱いい派
演劇。3つ見れる!というやつ。いいへんじと、ウンゲツィーファと、コトリ会議。
ビラの雰囲気と中身違いすぎて、なんやこれ!ってなってる人いそうだな、とか、みにきている比較的高齢の方々、これどうみてるんだろうかとか、ちょっと思いながら見た。みてる間にこういうこと考えてしまう。
会場で偶然の友達エンカウントが発生して、最近劇場で知り合いに会うの増えた気がするな、と思う。

野田サトル『ゴールデンカムイ』1〜15巻
マンガ。めっちゃ好き〜〜〜。
なんでも食べる漫画なのはなんとなく知ってて、あと、金塊のことも知ってて、読みたいなーと思っていたので、ばくばく読んだ。
いろんなタイプのやばい人が出てきて、こういうのを何も考えずに脳汁出しながら読むのが、1番の娯楽だ〜〜という気持ちになる(好き嫌いはそこそこ分かれそう)。
あと、どれだけ調べ物しながら書いてるんだ……!!という気持ちになる。すっごい。やっぱり何かを作るときにはたくさん調査をするって大事だな……と思う。

コナリミサト『珈琲いかがでしょう』1〜3巻
漫画。ぱくぱく読んだ。凪のお暇もドラマでやっていたあたりまでしか読んでいないので、ちゃんと読みたいな〜。
人の奥の方にあるギラっとした感じが、絶妙に怖くて、凪のお暇のときも、怖いな……と思って読んでいたけど、これも怖いな……というきもちで読んだ(一般的にはそんなに怖いなって感じではない気もするけど)。

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