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青い鳥をつかまえる #上京のはなし

かなこちゃんのお父さんは東京に出稼ぎに行っているからいつもいない。
盆と正月しか帰ってこない。
六つ年上の従姉妹は、中学を卒業すると集団就職で東京の縫製工場へ行った。

青森と東京をつなぐ急行津軽は、地元では出稼ぎ列車と呼ばれていた。
直角の青いシートにリクライニングはない。
弘前駅を夕方の四時過ぎに発車すると東京の上野駅に着くのは翌朝六時だ。
約十四時間かかる。
特急よりも安く鈍行を乗り継ぐよりも早い。

私は直角の青いシートに体を押し込めて東京へ向かっていた。
旅行カバンは網棚の上、膝の上には紙の手提げ袋に入れたラジカセ。
片耳イヤホンでロックを聴いていた。長旅に音楽は欠かせない。
まだウォークマンもiPhoneも存在していない時代だ。

地元の短大を卒業して、東京の会社に就職が決まっていた。
出稼ぎではない。集団就職でもない。私は東京の会社でOLになるのだ。

「おねさん、東京さ行ぐの?」
斜め向かいに座った日に焼けた労働者風の男が話しかけてきた。
私は耳からイヤホンをはずした。
「はい」
元気よく答える。
「俺も若い頃東京さ憧れて行ったけれでも、やっぱり合わねくて、すぐに戻ってきた」
男は苦そうな笑いを浮かべた。
「今は出稼ぎで、行ったり来たりだ」
「はあ」
「すぐにおねさんも帰ってくるよ」
男は言った。
私は違う。私は違うとはっきりわかっていたけれど、むきになって否定することでもないので、何も言わずあいまいに微笑んた。
「ま、がんばって」
男は腕を組んで眠ってしまった。

「憧れ」の東京という言葉は好きじゃない。
私にとって東京は憧れではなくて現実だからだ。
地元の町は好きだ。洋館のある街並みも裏のりんご畑も窓から見える岩木山も何もかも私の心を作る大切なものだ。
でも、私が一生を過ごす土地ではないとうっすらと感じていた。

時々、窓から遠くの空を見上げて思った。
どこにもいけない。
どこにもというのは物理的にということではなく、精神的にという意味だ。
なんでも見てみたい、やってみたい、知らないことを知りたい。
私にとっての青い鳥は、ここではなくて東京にいる。
若くエネルギーが溢れていて好奇心旺盛だった私には、田舎での静かな暮らしには閉塞感と物足りなさがあった。

卒業後は至極当然に東京での就職を決めた。
私が内定をもらった日、母はとても喜んだが、父はこちらに背を向けて泣いていた。
母はその背中をさすりながら「二年儲けたと思えばいいじゃない」となぐさめた。東京の大学を落ちて、地元の滑り止めに入学したので、私の上京の計画は二年遅れたのだ。
それを思えば急行津軽の十四時間なんてなんのそのだ。

朝方、上野駅に着いて外に出た。
東京で始まる一番目の朝は、曇りだった。でもそんなことは気にも留めない。
やっと来た、という気持ち、やっと本当の私が始まるという希望。
新しい生活への期待感で胸がいっぱいだった。

あれから何十年か経った。
私が上京したときに抱いていた夢は、叶ったともいえるし、まだ夢の途中とも言える。
青い鳥はつかまえたと思うとあっという間に手の中から飛び立ち、またつかまえる。
その繰り返しだ。
きっとそういうものなんだろう。

けれど。
仕事を終えて電車に乗る。高架を走る電車は住宅街を見渡せる。
夕日は沈みかけて金色の光を街に投げかける。空は薄く桃色に染まりかける。
吊り革につかまって、ひしめく家々とその上に広がる空を眺めていると、ああ、私は今、東京にいるんだ、と感じる。
それだけでどうしようもなくうれしい。
今でもだ。

東京での生活はとっくに故郷で過ごした年月を超えている。
あのとき、上京するときに「すぐに帰るよ」と言った男に「ほうら、はずれたでしょう」と私は心の中で得意げに笑顔を向ける。


#上京のはなし

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