絵の勉強1: 絵を描くとは「3つの不自由」を克服すること
思索のメモ。最近、絵(デッサン)のリハビリを始めた。
自分は、対象を抽象化できると学習スピードがあがる性質だ。そのため、「絵を描く」というスキルを、どう抽象化すればいいかで悩んでた。
色々と考えた末、
「絵を描くとは、自己の3つの不自由を自覚し、克服すること」
と記述できるという仮説に至った。センスと表現をとりのぞいた、純粋なスキルセットとして描画。それは、以下の3つの不自由の克服として抽象化、統合化できる。
それは、「インプット、シミュレーション、アウトプット」の不自由の克服だ。
インプットの不自由を克服する
目から入ってきた情報を、自分が正しく認知できていない事実を自覚し、克服すること。物体の空間的な位置関係、色、光の反射などが、脳内で歪んだり捨てられたりせず、正しく受け取る能力の獲得。
シミュレーションの不自由を克服する
物体の構造を脳内で再現し、移動、回転、変形、再配置できない事実を自覚し、克服すること。脳の中で、存在しないものを構成、検討、評価する能力の獲得。
アウトプットの不自由を克服する
意図のとおりに手を動かして、任意の座標(X,Y)に色を配置できない事実を自覚し、克服すること。画材を理解し、脳内にある形状を紙面に転写し、リアルタイムにズレを補正していく能力の獲得。
つまり、絵画の練習とは「身体にねざす不如意性を自覚し、心身の制御を合一する作業」…といってもよさそう。禅の修行する人が、修行の一貫として絵を描く人がいる理由も、ここかなと感じた。
この3つが克服できると、「見たものをそのまま描く」「見たものを拡張して描く」「見てないものを描く」の3つが可能となる。
サイエンスの言葉に翻訳すると、描くことの学習は
雑にシステム1(無意識)に処理されていた「インプット、シミュレーション、アウトプット」の3要素を認識し、システム2(意識)の領域にあげ問題点を修正し、再びシステム1領域(無意識)での処理に戻す…作業と記述できる。
仏教でいうなら、たぶん「見牛、得牛からの忘牛」までのプロセスと記述できる。
このように絵画のスキルセットを抽象化すると、身体性のある各種スキル(楽器、スポーツ、アクションゲーム等)と、学習を統合できると思われる。あくまで「スキル」としての絵画能力は。
…というわけで、どう学べばよいかが自分の中で明快になった。身体性のあるスキルなので、「わかった」から「できる」までの距離が遠いのが課題。判っても、それだけ出来るわけではない。そこは愚直にやるしかなさそう。
正しいかは知らない。身を以て試すのみ。
いただいたサポートは、コロナでオフィスいけてないので、コロナあけにnoteチームにピザおごったり、サービス設計の参考書籍代にします。