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多様性と均一性のちがいについて

健全なnoteコミュニティを設計するうえで、チーム向けの多様性に関するメモ。多様性は色で考えるとわかりやすい。

昨今、多様性に関する議論が活発化してきている。不利な人々に優遇措置を与える、アファーマティヴアクションなども、どんどん増えてきてる。

でも、ちょっと怖いのが、「多様性」と「均一性」の違い。これが、あまり議論や区別されないまま、ドンドン進められているに思える。


多様性は色で考えてみよう

わかりやすいモデルとして、多様性を色で考えてみましょう。パレットや絵画をイメージしてください。

赤1色。これは全く多様性のない状態。意見や行動が完全に統一された世界です。これは一切の選択肢のない世界です。


様々な色を列挙した図。同じ職場に、白人と東洋人と黒人とヒスパニックの人々がいるようなイメージですね。一見多様性があるように見えますが…


実は、これをさらに離れて俯瞰をしてみると、こうなります。

ミクロな多様性を、そのままスケールしたもの。全ての会社が、同じ比率で人材採用を行ったりするとこうなります。

局所的に見れば多様っぽく見えていたものが、総体でみた場合「均質」になってしまっている。これは失敗した多様性です。

なぜなら、さらにズームアウトして俯瞰すると、このようなタイプの多様性は「均一なグレー」に収束してしまう。つまり完全にフェアな世界というのは、究極的には「多様ではない」わけです。

「多様性」というのは、全ての会社で男女の比率が一緒とか、全ての映画に全人種が登場するとか、そういうものでは無いわけですね。それは「均一性」になってしまう。

均一性は一見フェアに見えるけど、それだけだと、変化に弱く、イノベーションが起こらない。それは静止したユートピアなわけです。

多くの人は、この「多様性」と「均一性」をわけて考えずに、議論を進めているように思えます


本当の多様性は、もっとかたよっている

より理想的な多様性はこんな感じ。マクロな視点で緩やかな分布があり、ミクロな視点でも多様なノイズがある。

多様性というのは、とても複雑で難易度が高い概念です。

個々で見れば偏ったものがいっぱいある、でもそれを総体で見ると、生態系として多彩なバリエーションが生まれている。それが真の「多様性」です。


本当の多様性社会はそれなりに不愉快

そういう真に多様な社会は、「自分が気に食わないもの」もいっぱいあります。でも、その「自分から見て不謹慎なもの」が、「他人からみて大事なものかもしれない」。それを受け入れなければ、多様な社会は成立しません。つまり、「多様性」は前提として「寛容」でなければ成立しません。

極論、人を傷つけかねない言動すら、「セーフよりのアウト」程度だったら、飲み込まなくてはなりません。多様性には、そのような覚悟が必要です。

そういう意味では、多様性を守護しようとする人は、個々の言動に囚われすぎてはいけないようにも思えます。そこよりも、言論の全体分布に注目し、その比率や偏りをしっかりチェックするほうが重要そうです。

大きな視点での多様性は、ミクロな視点では、あるていど偏ったコミュニティの発生が予想されます。たとえば男尊女卑のコミュニティ、女尊男卑のコミュ二ティ、オス化するコミュ二ティ、メス化するコミュ二ティ、完全対等のコミュニテイ、性差を認めつつも共存するコミュニティ… 色々なものがあってよい。色々なものがあって、それぞれが尊重されるように設計する必要がでてきます。

このような環境下で重要なことは、「可視化」と「選択の自由」と「寛容」です。この3つがしっかり担保されていれば、人は自分の好きなコミュ二ティを選択できます。

いっぽうで戦うべきは「外部情報の遮断」「メンバーの拘束」「不寛容」「別コミュ二ティへの過干渉」です。なぜなら、人が正しい選択を行えなくなるからです。(厳密にいうと、これらすら「思想」や「発言」のみで、行動にうつさなければ、寛容であるべきという考えもあるかもしれません)。

理想的な多様性
・コミュニティは異なった特徴をもつ緩やかな分布として存在する
・各コミュニティの特色が明示されている
・コミュニティ帰属者は簡単にコミュニティ感を移動できる
・コミュニティは、相互に尊重しあい過干渉をしない


そんな社会では、不謹慎な発言、受け入れられない意見もいっぱいでますし、喧嘩や調整ごともいっぱい発生します。でも、それを受け入れる覚悟がなければ真の多様性は獲得できません。


誰が多様性を担保するのか?

上記の色の例のように、よい多様性は、分布の偏りが多重構造で重なっています。このような多様性は誰が担保すべきなのでしょうか?

多くの競合サービスがいて移動しやすい分野では、その競合自体が多様性を担保します。そのような環境では、各サービスが特化型の設計をしても、複数のサービスの総体として多様性が作られるでしょう。

一方で、サービスが1つに独占され移動しにくい環境では、サービスそのものが普遍的な多様性を保護しなければなりません。たとえば国家のようなものは、移動しにくく選択しにくいため、できるかぎり単体で多様性を担保すべきでしょう。


多様性のイメージとしては、ジョルジュ・スーラの絵画などが、もっとも理想的な図です。スーラの絵は、点描画といってシンプルな色の点をとても細かく打って、複雑な色彩を作り出しています。

noteのタイムラインやコミュニティ設計を行うときには、チーム各自この「多様性」と「均一性」の違いを、各自で考えてみるとよいなぁと思います。

多様性のふりをしてやってくる均一性に飲み込まれないように、noteを灰色の絵の具バケツみたくしないように、大きく見ていければと思います。


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いただいたサポートは、コロナでオフィスいけてないので、コロナあけにnoteチームにピザおごったり、サービス設計の参考書籍代にします。