『Studio Session Live』私は最強

この曲ってさ、「体が鳴る」ような音が出る場所を教えてくれたり「原曲キーで歌ってんだからね!?」「ウタと一緒よ!?」ってファンとの距離感も近いトークをしてくれていると思っていて。「さ〜ぁ」からの「お喋りの時間」もちょっと恒例化してて。
「ミセスが最強!」って盛り上がる日も、カラオケで息も絶え絶えになるのとか、そういうこと含め楽しくて。
だから凄く楽しく聴けると思っていて。

いや私も思ったよ、10周年のこのライブ映像への気持ち楽しいよりもグッときたり、さびしさにすきま風感じちゃったりし過ぎじゃないの?と。

ただこれを書くために聴き直す今は、フロリジナルで言うならその先の街へ着いてからの高鳴りを感じるから本当に聴く時それぞれで感じることなんて変わってしまう。

だからあくまでも、5月20日の私の感性に寄り添って書くならば。

では再生しましょう。

桃色のライト可愛い〜〜〜〜〜〜〜。薄紫にも感じられるこの色、私はこの時もう胸が痛かった。早い、早すぎる切なさの始まり。
包む光がやさしくて航海のような青も入るけれど降る色に暖色が多いと癒される。癒されるはずなんだよ。フゥン……まああまり触れずにいこうかな。

セットの雰囲気含め、今回の「私は最強」も元気ハツラツというよりもシックで大人ぽくて、だからこそこんな気持ちになってしまうのかもしれないけれど。

「大丈夫よ 私は」でこちら(カメラ)に目線をくれる大森元貴、止まる私の心臓。巻き戻す。
ステージとなった部屋をぐるりと見渡す様子、ソファに手を置き語り始めるような佇まい。スッキ。
その前に教えて欲しい「怖くはない」「不安は無い」、○○は、無い。ならば、何ならあったのだろう。何が本当はあるのだろう。でも何も無いよ、と言われているように声色が落ち着いている。有無を言わせない。

サビに入っても柔らかくて芯のある歌声も変わらず、目線だけが少し遠い。ミセスとしてこの先を見据える目なのか、少し遠くの誰かを思うのか、どちらもそうでどちらも違うのだろうけど、視線ひとつが印象的で、表現者としてこの人が高いところにいることがよく分かる。

「握る手と手」、いつもあなたの隣を埋めるやさしいひとたち。だからこの時重なっている手もさびしくなくて、力が入っているのか少し浮いた血管さえ愛しい。「みんなの夢は 私の幸せ」、みんな、そうよ。本当に。

間奏で変な顔するのやめてもらえません???
「にゅぅ!」の時みたいなあの顔。絶対そこその顔するタイミングじゃなかったでしょ。りょうちゃん見詰めてうんうんして、ひろぱの方見てうんうんして、ふざけた顔から戻って何も無かったかのように背を預けるような信頼の目で、こくり頷くけど。頷く前に手がノリノリなのも可愛いよ。でもさちょっと待ってよ。いやいいよ、楽しんでくれて何よりだし好きだよそういう顔。でもここで???結構私序盤から気持ち溢れてたのに???なんでタコみたいな顔するの???この数秒だけ何回みたと思う????

「回り道でも私が歩けば正解」、目が伏せる仕草にまた一気に胸がキュッとする。数秒前とのギャップが酷い。「引くに引けない」という青さ、無理を当たり前にしてしまうところ、腐りたくない気持ち、期待。軽やかな拍子が大人びて見せる、相反するものを置いて行かないところ、私がミセスの好きなところ。「応えるの」に続く声が伸びやかなのに張り詰めていてこちらが緊張する。この先も期待に応えると言いながら、期待を裏切るようなことをしてやると宣言するような緊張感。

この後も確かめるように若井滉斗を見遣る仕草が愛らしい。ここにいるよと応えるように頷いたりするところが、圧倒的な愛で安心する。愛し合っていて、尊敬し合っていて、それがMrs. GREEN APPLEを成していることが感じられる瞬間が、尊い。


後光、森夏彦。


アナタしか持ってない、その弱さが 照らすの 。
とは。
何故弱さが照らすのでしょう。何故大森元貴は、ここで照らされて眩しいと言うように目を覆うのでしょう。
人間の弱さ、脆さ、それらを少しでも前向きにするように、そんな立ち上がれない日があってもいいねと言うように。
強い人なんていないと、弱いところはみんな持っていると言う彼ら。私のこの弱さも集まってしまえば目が眩む程の、良い意味の光に変わるのかもしれない。弱さに寄り添ってくれた Mrs. GREEN APPLE への声援だとか。もしかしたら、全く逆のものに成りうるかもしれない可能性を秘めているけれど。

ではここに、前回と同じ注意文書を。
何もよく分かってない人間が、これを書いています。解釈はいつの世も人それぞれ、どう思い何を感じでも音楽は一対一。これは私が、「10周年」ということに重きを置いてこの楽曲を聴いたが故の感想です。

「私は最強」と言い聞かせる羽目になった日が、いくつあったのだろう。「私の夢はみんなの願い」、あの日願われたことは何だったでしょう。今何を夢に思うのでしょう。「私の思いは皆んなには重い?」、その舵を切る責任や思いにどれだけの何があったんでしょう。

「最愛の日々 忘れぬ誓い いつかの夢が 私の心臓」、愛した人と過ごした時間が、夢が、いつまでもその胸を鳴らしてくれますように。 

音楽≠人、それでも人からしか音楽は生まれてこれない。その日その時にその曲が選ばれることには意味がある。

ならこの時、4曲目に「私は最強」が選ばれた理由をこう思いたい。

素晴らしい夢までの約束の歌だからだと。

私には。


追伸

今日聴き直すと凄い。
ミセスとどこまでも行けると思う。
あなたは最強、とてつもなく人間臭くて、繊細で、やさしくて、ストイックで、最強。
リズム隊の音に胸がとくとくする。
歌いながら笑ってこんな綺麗な人なんなんだろう、大森元貴か。これが大森元貴。
そして大森元貴の呼吸にぴとりと寄り添う藤澤涼架のピアノが好き。目配せせずとも背中を預け、やり合える関係性。
それらがぎゅっと詰まっていて、この先のミセスについて行くことへの迷いなど吹き飛ばされる。
そういう曲だなと。

聴く日が違えば、そんな日もね。


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