『Studio Session Live』Soranji
公開されたのは5月20日22時
ヤダ〜〜メトロの帰りじゃん見れるかな電波あるかなァ〜〜〜〜と不安だったYouTube プレミア公開
そんな日の。
披露された曲順に先ずは Soranji
その曲の重み、愛の深さ、
本人が文字通り命を削って生んだこの楽曲。
Mrs. GREEN APPLE の中で、この楽曲のイジリが地雷の私、つい先日NOAH のグッズ情報が1部公開されたことにナチュラルに口から「キリがないほんとに」と音付きで出たことをご報告致します。
そんなつもりじゃなかった、でもちょっと、まだ出るんでしょう?楽しみなんだけどさ、もうタオルとシャツ買ってそれなりの金額にはなってるわけよ。
いや買うよ?多分あの、ラババンとかあったら欲しい。他は何?何を出すつもりなの?大丈夫そ?私の口座息してる?
自分の中の愛を疑いましたね、
大切な物は胸の奥にギュッっとギチギチな守りで押し込んで抱えて生きていくはずなの口からポロッと出てしまうくらい身体に馴染んでいたのか、口にしても良いくらい傷付かないように仕舞うのではなくて一緒に生きていこうくらいの気持ちになってくれたのか。
まぁそれでも見るとびっくりしちゃうんだけど、関係無くても驚きはするからね。その人がその曲をその存在をどう思っていようとどういう方法で推そうと私には関係無い他人の話だけど、驚いた反射、自己防衛で殴っちゃうみたいなこと、あるじゃないですか。強い言葉が出てしまうことは反省しています。ごめんね。
さァそれでは、前振りはこの程度で。
この日メトロックが終わって私はまだ、シャトルバスに向かうべく歩いていました。クロークから荷物を引き取ってイヤホンが見当たらなくてとてもとても慌てながら。くたくたの身体が見逃せないから頑張るんですよ、めちゃくちゃ早歩きでイヤホン探し出してスマホはモバイルバッテリーに繋いで、その時を待ってました。
「ミセスのYouTube今日じゃん〜!」
そんな声も多々聞こえて、嬉しかったり。
カウントダウンのイラストなんか可愛かったね。
控え目なブレス、
話し始めるような優しいブレス、
独り言のような 「私はまだ … 」。
また今まで聴いたSoranjiとは違う雰囲気で、イヤホンから直接聴こえているのにこれでもかと耳を澄ます。
りょうちゃんのフルートが夜明けのように光が見える、Soranjiに今まである海の底のような印象から、夜明けを感じる背後からの照明。
海、水中から空を仰いだ時の揺らめいた空と光、そういう優しさ。
寂しさよりも、夜明けのベッドで愛し子に紡ぐように、起こさないように囁くような歌声。
確かな強さと、あたたかさを感じる澄んだ声。
間奏の普段ならコーラスである部分、響き渡る産声であり嘆き、そして夜明け。感じられるの私だけでしょうか。
全体的に背後からの照明が多くて、あの表情豊かなお顔が薄らぼんやりとして見えないけれど、それでも以前映像で見たような、寂しさと苦しさから光を探すというよりも、カーテンの隙間から差し入る朝日を撫でるような、愛しい人の髪を撫でる弱々しい程にやさしい指先、そういうものを感じる。
本当にこの曲、いつもなら私は「大森元貴!」「大森元貴!」となってしまうのに、藤澤涼架に射抜かれています。この音、やさしい。必ず希望はある、朝日は昇る、あたたかな日が来る、そう思えるこの音色が彼の声に寄り添っていてとても美しい。
キーボードの彼も勿論素敵だけれど、これが彼が何年と注いできた、確かな愛のある楽器、音色。Soranjiにこのアレンジでフルートが使われることが本当に嬉しく、いとおしい。
そういえば、
4月5日に私はこの日のSoranjiを
恵みの雨に変えた喜びの喜びのSoranji
と書いているけれど
このSoranjiを何と表そう、
どんな言葉ならこの感動が伝わるんだろうか。
一生模索していたいところだけど、これを言葉にして残さないと書き出す意味が無い。
子守唄。
憂い、この世の悲しみ、それらから愛しい人を守るためのもの。
いつもより手振りも少ないSoranji、小さなマイクを包むように手を添える仕草なんかも、頬に手を添えるようで、ちいさな未来を掬うようで、やさしい。
私には。