追伸

このnoteを書いていた時、自分で「愛し子」という言葉を使ったのにそこに靄のかかるような、それが何だとはっきり言えない気持ちを抱えていて。

何だろう、彼らにとって愛しい子。
彼にとって愛しい子。
この世界、ここで暮らしていく人々、その壮大さと、小さな希望を探す尊さを愛していることは曲からわかるけれど。

何故この
スタジオセッションライブというもので。
ラストを飾るに相応しいはずのSoranjiが。

とはいえもう答えが出なくて、答えが出ないこともまた答えだなと投稿。
Twitterに共有してフォロワーさんや見ず知らずの人に反応を頂きDMを解放していた人には感想を聞きに行ったりと、図々しく活動してみました。

私の感想と同じような人もいれば、真逆の人、歌詞に自分を重ねる人、様々でした。
音楽は一対一だよ、といつしか彼が言ったように、それぞれが間違い無い気持ち。それを共有し合えたことが本当に嬉しかったです。
まずはありがとうございました。
(まだまだお待ちしてます)


私はこのSoranjiを「子守唄」だと書いたし、あの印象的なコーラスを、夜明け、産声と書いたけれど、この10周年を記念するスタジオセッションライブにおいて、Soranjiという楽曲は本当に産声だったのでは無いかと今は思います。
初ライブの日から10周年、その始まりを飾るに相応しいSoranji。もがきながら生きようと示してくれる、大森元貴の核に触れるこの曲。そのアレンジをお任せする形で披露したこの特別なライブ。

ならば彼らにとっての愛し子は、今までの楽曲、すべてのメンバー、スタッフ。Mrs. GREEN APPLE のその全てなんだとこの時腑に落ちました。

もちろんそこに、ミセスの楽曲に触れて生きたこの私たちもちょっと混ぜさせてもろて。

なんて。


愛し子への子守唄であり、
初ライブから10周年の産声。

私には。



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