ポストモダン、ドラッカー、アジャイルの符合

過去20年の間に、いつの間にか、いわゆる近代社会は姿を消し、いまだ特定の呼び名もない新しい社会の時代が始まっていた。

これは1957年に刊行されたピーター・ドラッカーの著書『変貌する産業社会』の出だしの一節である。

ピーター・ドラッカーはポストモダンの旗手と言われることがある。「特定の呼び名もない新しい社会の時代」こそがポストモダンである。そして、ドラッカーの著作から60年以上経った現在においてもなお “ポスト”モダン というようにモダンとの比較においてしかその名前を持たない。

モダンがデカルトにはじまる近代合理主義に立脚しているのに対し、ポストモダンは脱近代合理主義と呼ばれる。こちらも "脱"近代合理主義というように、近代合理主義との対比において成立している名称である。

ポストモダンの価値観を明らかにするために、ドラッカー本の翻訳で有名な上田惇生先生がものつくり大学で使われていたという教材から一部を抜粋したのが以下の表である。

ポストモダン.002

(『P.F.ドラッカー 完全ブックガイド』より抜粋して引用)

私は並べられたキーワードを見たときに衝撃を受けた。ポストモダンが価値としているものはアジャイルのそれとまったく同じではないか。

生物学的世界観は自己組織化に通じるし、全体最適不確実性というキーワードもアジャイルを説明する際に頻繁に用いられる。近年はイノベーションというキーワードも DX (デジタルトランスフォーメーション) の文脈で使われることが増えている。理論よりケースを重視する経験主義の考え方もアジャイルに通じる。

アジャイルへの理解が進まない、もしくは誤解されてしまう原因はモダンの価値観やものの見方、考え方を変えずにアジャイルを理解しようとしていることにあるとも言える。

たとえば、アジャイル開発を説明するときに「設計 - 実装 - テスト を短期間で繰り返すやり方です」というのは一見分かりやすいが本質的には的外れである。アジャイル開発では 設計 - 実装 - テスト は非分解なものなのである。

私がアジャイルチームの支援をしていて、チームの成長を定量化して報告してほしいと言われることもよくある。これもモダンの考え方から抜けられていない。ましてや加速度センサーで幸福度を測定することなど到底できない。何でも定量化できるという発想を改め、定性的にしか測れないこともあることを受け入れる必要がある。

前掲の表を私なりに拡張したのが以下の表である。(ドラッカーとアジャイルを追加)

ポストモダン.001

ポストモダンが価値を置いているものを受容することがアジャイルへの理解を助けるのではないかと考えている。

歴史にも境界がある。目立つこともないし、その時点では気づかれることもない。だが、ひとたびその境界を越えれば、社会的な風景と政治的な風景が変わり、気候が変わる。言葉が変わる。新しい現実が始まる。1965年から73年の間のどこかで、世界はそのような峠を越え、新しい次の世紀に入った。
西洋の歴史では、数百年に一度際立った転換が起こる。世界は歴史の境界を越える。社会は数十年をかけて次の新しい時代に備える。世界観を変え、価値観を変える。社会構造を変え、政治構造を変える。技術と芸術を変え、機関を変える。やがて50年後には新しい世界が生まれる。
われわれがこの転換期にあることは明らかである。もしこれまでの歴史どおりに動くならば、この転換は2010年ないし2020年まで続く。

もうそろそろ私たちは新しい価値観を受容し、新しい時代に名前をつけなくてはならないのではないだろうか。

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