昨日離婚した(その5)

俺は女性ではない。男性、男である。男なので女の内面というもの、特に身体と心のことは本当のところ分かっていない。男だから当然である。
でも、分かろうと努力はしている。他の男よりは分かっているつもりだ。
何せ俺は2回結婚したのだから。

妻は生理が来るとすぐわかる。オーラがそうさせている。強弱はあるが毎回重いらしい。薬を飲み1日2日寝ている。3日目くらいになるとムクムクと起きて身の回りのことをやっている。これが毎月ある。勤めていたときもよく休んだ。生理休暇は制度上あるが、なかなか「今日は生理休暇で!」なんて休む人はいない。妻ぐらいだ。
この生理を皮切りに気分が一気に急降下する。昨日までハイテンションだったものが「昨日何があった?」ってくらい何も動かなくなる。予定もすべてキャンセル、俺たち家族とも話さない。突然朝お弁当も作ってくれない。これが毎月である。およそ5年間の結婚生活で12ヶ月×5年=60回これをやられた。「今日生理になったからお弁当キャンセルね」とか何も言わない。周りに「私どうなっているか分かるよね!」と言わんばかりに沈黙を貫く。こちらは「あーそうなのか」と思っても気分が悪い。何も言ってくれないから。

今も思っているがこの人は他人に言えない心の闇というものを抱えて生きているような気がする。1回目の結婚が破綻し気落ちした俺を焼き肉に誘ってくれた。他人に対して感情移入しとことん心配してくれる。しかし、自分のことは心配していないように思えてならない。セルフネグレクトという言葉があるがそれともちょっと違う。
その4で3月31日にお疲れさん会を催したと書いたが、この帰りの車の中で「歯医者に行けよ」と言ったことがある。歯を見せて笑うことがない。ある日、風呂からなかなか出てこないので心配して見に行ったら、寝ぼけた妻が風呂で寝ていた。その時に半口を開けた瞬間、犬歯の辺りがすきっ歯になっていた。またある日は欠けた歯が洗面所に置いてあった。なので言ってみたが、ついに歯医者には行かなかった。またある日にはあまりにも生理後の気分の落ち方がひどく、冬の間の3か月も口を聞いてくれなかったことがあった。ちょうど俺が適応障害の休職中で大学病院にリハビリに行っていたときだ。リハビリではレポートを書いて自己分析をし、復職に向けたトレーニングをするのだが、リハビリから帰宅しても何も報告ができずにいた。ようやく気分が上向き(というか無理やり上向かせた)になったときに話しかけ、婦人科に行ってみないかと言ってみても「そうだね」でもなく、これも行くことはなかった。もうちょっと自分に向き合って時に他者に委ねてみるという気はないのだろうか。

翌年、公営住宅で独り暮らししている妻の伯母(当時88歳)を引き取ることにした。引き取ると言っても介護サービス付きの施設に入るのだが。この手続きを我々夫婦でやることになってしまった。伯母は他所に嫁に行っていたが、旦那との折り合いが悪くなり離婚し、養子に取った旦那の兄弟の子とも疎遠になっていた。たまたま住んでいた公営住宅が近々壊されることを知り、関係者といろいろやり取りをしているうちに俺が面倒を見なければならなくなった。遺言があることを確認し、この養子さんと養子縁組解消をしようとしたが梨のつぶてのまま8年が経過していた。養子さんへ手紙を書いた。当時確か58歳くらいだった思う。その方は関東のとある市に住んでいることが分かっていて何故返事をよこさないのか問いただしたところ、俺宛てに返事が来た。養子縁組解消の届け出は送られていたことは気付いていた。東日本大震災の被災地支援で仕事で東北に支援に行っていたときPTSDを発症し療養中だったこと、母(伯母のこと)は、自分が大学進学で翌日から家を出るのに急に出て行ってしまったこと、今回こうして再度解消の届けが送られたので書いて送り返すので後は頼むという主旨のことが書かれていた。伯母は言っていなかったが、急に出て行ったなんてちょっと伯母もひどい人間である。この養子縁組解消、施設への入所と引っ越し。ひと夏かかった。ここで気に入らないのは、他にもいる甥・姪である。妻の母の兄弟の長子がこの伯母であり、兄弟が大勢いて8人くらいか居たような気がする。実はこの従兄弟の中に芸能人がいる。この芸能人兄弟のやる「いとこ会」なるコロナ禍前まで年1回旅行や宴会をやるとなると従兄弟とその配偶者、子供まで集まって、かくも盛大に開催していた。最後は令和元年だったが地元のホテルで宴会を開催し、翌日遊びに出掛けた。その従兄弟たちが誰も声を掛けてくれず、手伝わなかったことだ。従兄弟が15人くらいいるのに何で従兄弟でもない外様の俺が音頭取ってやらなきゃならないと思った。当然夫婦喧嘩もした。妻からも「よろしく頼む」とも言われない。離婚する直前なんか「あとはこっちで見るから」。ありがとうの一言もない。ただ伯母の感謝の言葉だけが救いであった。

つづく


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