競うことが嫌いだった
競争が美徳
いつからか。何に関しても誰かと競うことを骨身にしみ込まされてきたような気がする。保育園時代のリレーに始まり、小学校のテスト点数争い、中学校の成績ランキング発表に、高校の受験。全てが『競争』という一貫された秩序の中で起こっていて、その歪さを感じてた僕は苦しかった思い出がある。それは競争の中に身を置くことが苦しかったわけではなくて、”競争することを否定するものは悪だ”という風習に嫌気がさしていた。競争に身を挺することこそが行動の美しさであり、そこで勝つことこそが価値であると。そう教えられてきた。
その結果、大人なって自分の価値を認識できるのは『誰かに勝っているか』だけになっているように見える。マイホームの大きさ、車の値段、年収、嫁の顔、旦那の職種、それ自体に価値があるというよりも、その価値を決定づける物差しが『他に勝っているかどうか』に依存していると感じた。そのある種『当たり前の文化』に誰も異を唱えずただ流れるだけ。その結果ストレス社会が生まれ、勝ち残れなかった人が死を選ぶや病を選ぶや。とても健全とは言えん流動の中を前だけ見て走っているなと感じた。
そんな世界で生きてきて、いまだに、この年齢になってもどうしても競争が好きになれない。好きになれないことをいくらかの人に漏らしたことがあるけど、やっぱり否定された。「それは逃げているだけだ。」「辛いことを避けているだけだ。」ただそういったありふれた言葉をぶつけられるだけで、なぜ競うことが嫌いなのかを知ろうとする人はいなかった。だからここに書いてるのかもしれんけど。
競争が嫌い
競争を好きになれない理由は、すこし複雑になるかもしれんけど書いていく。競うことを実践していた時に感じた思いがきっかけで『競うことに執着するあまり、自分が起こしているアクションの面白味や醍醐味、本質を忘れてしまいそうになる』というもの。これの影響で僕は小さい時から、カードゲームというものをやらなかった。多種多様なカードゲームが発売され、1994年生まれである僕の世代ではまさに大ヒットした。周りの友達はみんな興じていたけれど、僕はしなかった。みんな周りよりも強いカードを手に入れることに必死になって、甘やかしを受ける子どもは当然多くのカードを得る機会があり、その機会に比例して強くレア度の高いカードを持つ。ただそのカードは実際のゲームには登場しない。勿体ないかららしい。彼ひいては彼らの中では、『そのカードを所持した時点で勝者』だった。
また大学生になっても、それに似た感覚を感じた。周りはみんな『ソーシャルゲーム』なるスマホアプリに興じていた。(モンストやらパズドラやら)これらにも同じような現象が起きていて、周囲より1歩でも前に、少しでも強くなろうとする感情からか、課金を行い、昼夜問わず寝食忘れてゲームに没頭して、周りを凌駕しようと必死だった。もうそれはもはやゲームを楽しんでいるわけではなく『いかに周りよりレアなアイテムを手に入れ、いかに強くなるか』だけを追い求める”作業”だった。これが途轍もなく気持ちが悪く喉を通らないものだった。だから、大学時代もまわりと競ってゲームをしたことはほとんどない。
何かをする上で、そのモノが持つ本質、醍醐味、そういったものから逸脱したくない。心身すべてで楽しみたいし、自分のペース以外の何者にも浸食されたくないと思ってしまう。その自分のペースや想いを一方的に、著しく汚すものが『競争』というものだと思っている。競争さえなければ、みんな心の底からめいいっぱい楽しめるのに。本当の価値を見つめて、本当の意味で全うできるのにとひしひし感じる。
ただこういう事を言うと、仕事の話を持ち出す人間がいる。『競争がないと怠ける。』『相手に勝たないと意味がない。』なんてことを平気でいう。じゃあ働いている人は、競合他社に勝つために働いているのか?社内の人間でトップになるために働いているのか?違うだろう。自分たちが生み出すものを受け取る人間は確かに存在して、その対象のために働いているのではないのか。そこがぶれるから、妙なストレスを抱える。そこがぶれるから、利益重視のブラック企業が生まれる。なぜ競うことに洗脳されて、本当に必要なアクションを見失う。
僕は、沖縄に関する情報発信をウェブサイトとYouTubeで行っている。この2つで誰かに勝とうと思ったことなんて、1度もない。それをしてしまうと、本当に発信すべき情報や発信の仕方、情報の質が落ちてしまうことは目に見えているから。それがどうしても自分の中で受け入れることができないから、競争することをさける。目の前にあるものの本質を見失いたくないから、競うことから逃げている。
競うことがどうしても苦手なのに、周りからの圧力や常識に翻弄されて競うことを辞められない人がいると思う。そしてそれは辛いと思う。でも、競争を嫌うことは、モノの本質を見失わないこと。本当に必要なことがしっかりとその目に映っているということ。だから悲観しないで、いつまでも競争から逃げてほしい。避けてほしい。
競うことに、意味なんてない。
沖縄おいで~