私は生きている

私は通信制の高校生です。これは自己紹介のような、普段心の中でひとりで考えていることを書き出している内容になります。

私は2006年に生まれました。口唇口蓋裂でした。
上顎に裂や上唇が繋がらず裂けた状態で生まれてくる先天的な疾患です。そのため手術跡が鼻の下にあります。

物心ついた頃にはすでに私は“みんなと違う”という認識がありました。

裂の息の漏れによって自分では上手くお喋りをしているはずが実際には正しく発音できていないという現実は、幼い頃の私にとって厳しいものでした。

元の性格もあり、幼稚園に入っても周りに話しかける自信がありません。そんな私をみてからかってくる周りの子たち。どうしてあなたはそんな風なの?と、言われたことは数回あります。
私も気になります。どうしてなのでしょうか。

小学生になっても状況は変わりませんでした。デリカシーのないクラスメイトは、私に鋭い言葉を投げつけることが多数ありました。

そんな彼らは大人の前では良い子を演じていました。とある男の子は家ではとてもかっこいいお兄ちゃんを。とある女の子はしっかり者を。

私に発した数々の発言は、そんな子どもを演じる彼らにもちゃんと歪んだところがあった証拠でした。

自分の意見も言えず、周りからからかわれてばかりの毎日を過ごしていた私でした。
きっと、口唇口蓋裂でなくてもこうなっていた気がします。

子供は残酷だからね という言葉は好きではありません。
たとえ残酷な生き物だったとしても言ってはいけないこと、言わなくて良いことが存在します。他人を傷つける免罪符ではないと思います。

そんな中、私をちゃんと見て手を差し伸べてくれる人も、数人いました。
でも、当時の私には勇気がなくて手をとれなかった。

高学年になり人間関係の荒波に揉まれた私は不登校になりました。 自分を文字通り痛いほど見つめ直す時間だったと思います。苦しかった。

今でも苦しい時は時折訪れます。
昔の記憶は、果たして私を成長させてくれるのでしょうか。

やっぱり、傷つけば強くなるってのは嘘だと思います。
傷だけじゃ強くなれない。
それらと向き合える自分がいたら強くなるけれど、同時に弱さも一緒に抱えると思います。強くなるまでの過程はとても厳しく辛いものです。


私にとって口唇口蓋裂は切り離したくても切り離せない存在ですが、

私=口唇口蓋裂ではないと思っていますし、そうではありません。

これはほかの人にとってもそうだと思います。障害や疾患などを抱える方、他に何か身体的、精神的、性格などどこかに何かを抱えている方にとっても、抱えているもの=その人ではないと、思っています。

私を構成するものは他にもたくさんある わがままかもしれないけど 周りの人やこれを読んだ方にも私を『口唇口蓋裂の人』だと思って欲しくない。口唇口蓋裂だと思われたくないと言うわけではありません。口唇口蓋裂がある無し関係なく、一人の人間として、見てもらいたい、関わってほしいと思っています。

“わたし”の中に口唇口蓋裂があって、生きているのは私であり、口唇口蓋裂ではありません

よく疾患や障害を個性と呼ぶのを見かけますが、それはあくまでも本人から言うものであり、他人から言うものでは絶対にないと思っています。

そもそも、個性とは何か。疾患や障害を個性と認めるかどうかは本人が決めるもの。

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