笑顔

こんにちは。
低血圧です。

先に言っておきますが
今日のnoteは櫻坂無関係です。

私事ですが、M1 2024で令和ロマンの髙比良くるまさんにどハマりしました。

まずファーストラウンドのネタで自分の子どもをケムリさんと同じクラスにしてもらい保護者会で無双したいと言っていたのを見て、何万人の視聴者がいる日本で1番大きいお笑いの大会の決勝で、前回覇者として立つ舞台で、こんなにも不器用に相方への愛を叫ぶ人がいるのかと変な感動をしました。(Leminoで見逃し配信あります)

それから優勝した時の笑顔に惹かれて、とりあえずYouTubeを漁って、気づいたらフォルダが髙比良くるまさんが映ったスクショでいっぱいになっていました。そしてそのスクショは全部髙比良くるまさんの笑顔でした。

くるまさんが笑っていると、なんだか嬉しかった。

私は笑顔を当たり前だと捉えていなそうな人が見せる笑顔が大好きで、救われたような気持ちになる。

上手く言えないけれど、真顔より笑顔の方が難易度が高いような人が見せる心からの笑顔にどうしても惹かれてしまうのだ。

うーーーん考えても考えても正確な言い回しは思いつかないけれど、笑顔を“作る”ことが苦手な人の笑顔はどうも信頼できて思わず寄りかかりたくなってしまう。
(それは藤吉夏鈴さんに対しても同じなのかもしれない)

表現に迷っている間に文字数を食ってしまったけれど、とにかく私は髙比良くるまさんの笑顔が好きだった。

そうこうしているうちに私の𝕏 のおすすめ欄には令和ロマン関連の情報が増えてきて、その中に彼の著書の書き出しを特別に公開しているものがあった。(公式です)

全てに流されて生きてきた。
何も確固たるものを持たずに大人になってしまった。

『漫才過剰考察』より

最初の一文に惹かれた。

私と似ていると思った。

勉強はできたが好きになれなかった。
だから周囲に期待されたほど学力は伸びなかった。

『漫才過剰考察』より

私と同じだと思った。
や、同じと思うのはおこがましいのかな。

ちょっと自分語りするね。

私は中学受験なんてしていないし、浪人もせず妥協して受かった大学に入ったし、もし一浪したら慶応に行けたかと聞かれたら頷くことはできないけれど、それでも本当に勉強が大嫌いなのになぜか人よりちょっと出来が良くて、割と偏差値の高い公立高校に行って慶応ほどじゃないが名前を言ったらほとんどの人には通じそうな私立大学に現役で進学した。

小学生の頃から親にやれと言われた問題集を泣きながらこなして、中学生ぐらいになるとズルの仕方を覚えて答えを写してやった風に見せていた。

私はそうしてなぜか出来上がった“勉強ができる自分”をどうしても好きになれなかった。嫌いな自分を人に見せたくなくて、友達の前ではおちゃらけたキャラの自分が出来上がった。

こんな話、やってないけどできますアピールみたいでそんなに人に話せる訳でもないから、ずっと自分の中で抱えることしか出来ていなかった。

そんな私の奥底で体育座りしているもう1人の私の横に来て一緒に体育座りしてくれたのが髙比良くるまさんのこの言葉だった。

この本の続きが気になった。

この“これまで”をいつでも読み返せるように手元に置いておきたいと思った。

Amazonでポチろうか迷ったけどこの本をレジに持って行って自分の手で受け取りたいと思って、この本を欲しいと思った2日後の今日、新宿のよしもとエンタメショップで購入してきた。(お近くの書店でも購入できます)

文献を読み漁るような学部でもない私が雑誌以外の文章メインの本を買ったのは流浪の月以来だった。

今日は1日オタクと遊ぶ予定があったので、予定の前に本を買って、帰りの電車でウキウキで、読み始めた。

とんでもなく面白くて、読み終わるまで最寄りにつかないでくれと思った。

結局本編を1章だけ残した状態で最寄りに着いたのだが、自宅という現実に戻る前に、私の中の“今日”が終わらないうちに本編だけでも読み切りたいと思って駅前のビルの壁に寄りかかって最後の1章を読んだ。


『漫才過剰考察』という題名の本だが、それにしても考えすぎだと思った。

考えることを終わらせない人だと思った。

きっと考えることがくせなんだと思う。

網目状にどんどん思考が広がっていく様子を文章で目撃した。

自分たちのことまで客観視して思考する様子は笑ってしまうぐらいだったけれど、きっとそれがくるまさんなりの主観なのだろう。

何もかもを容赦なく分析する。

分析にはそれに見合うデータが必要で、“過剰考察”という名前がぴったりのあの本の裏にはきっとこちらには計り知れないほどのデータ研究が隠れている。

でも芸人さんらしく面白おかしく語られる考察はそれを感じさせない。きっと心から漫才が好きで、心から令和ロマンが好きで、楽しくて仕方ないから、地道な作業も苦しくなくて文章にも表れないのだと思う。

冒頭に、不器用に相方への愛を叫ぶ様子に惹かれたと書いたけれど、この本は漫才に、M-1に対するくるまさんの愛がなんとも不器用に長ったらしく書かれた本だったと思う。

私がお笑いにすごく詳しい訳でもないからそう思っただけかもしれないけれど、とにかくこの人の原動力は“好きだから”なんだと思わされて、百何十ページある考察を読んで最初に私の中にうかんだ感想は「くるまさんめっちゃ漫才好きなんだなぁ」だった。

そしてこの本を読んで改めてどうしてあの笑顔にこんなにも惹かれたのか、お風呂の中で考えた。

だって2023も優勝していて、私はその時もリアタイしていたのにどうして今年になってこんなにも惹かれたのか。

前年に優勝してもなお、M-1に出て連覇を狙う、そして実際に達成する。
前例のないそれは、きっと知らないことなどないくらいにデータを漁って分析するくるまさんにとっては珍しくデータのない、限りなく未知に近い挑戦と経験だったのかもしれない。

だから何も考えずにただ「優勝」という言葉に笑うことができたのかなと、その笑顔があまりにも自然だったからもっとこの笑顔を知りたいと思わせたのかなとそう考えた。

この本が出版された段階ではまだ2024の決勝は行われていなかったから、実際のところ今年のM-1決勝をくるまさんがどう分析するのかめちゃくちゃ気になるので早く漫才過剰考察2を出版して欲しいが、とりあえずは令和ロマンのYouTubeなどを漁り、もう少し私もくるまさんについて考察してみたいと思う。

それから、私もくるまさんにとってのケムリさんや漫才と同じぐらい大切な人やものが見つけれるといいな。

今のところはあの人と、アレかしら。

長々とすみません。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

じゃ、また。

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