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流行り嫌い

「今若者に大注目!」とか「ネットで話題!」
なんて形容されるものは基本好きじゃないし
だいたい好きにならない。

と10代の頃はずっと思ってた。

今では考えられないけど昔はInstagramとかも大嫌いだったからしばらくやってなかった。
写真だけアップしてそれを他人から見られてその写真に対して“いいね”と評価を下す。何が面白んだろうって正直斜めに構えていた。

インスタだけじゃなくても、10代の頃に流行していたアーティストやテレビ番組、芸能人とか文頭に記したような形容されそうなものに対して嫌悪感を抱いていた。

ただそういった物事に対して嫌悪感を示すだけではない。自分が良いと自分が好きだと思ったものを愛した。愛しすぎていたかもしれない。
他人からお勧めされたものは全然興味が出なかった。今は全くないけど話題のものばかりに食いつく人を見ると、心の中で嘲笑していたかもしれない。

ただひたすらに腐っていたんだと思う。自分の世界で生きていた。
それは中二病の延長かもしれないし、個性を求めすぎていたのかもしれない。

そんな10代と比べると20代を生きる自分はかなり丸くなった気がする。
めちゃくちゃInstagramとかやってるし
話題のものとかすごい見るし
人におすすめされて好きになることとかも増えてきた。

それはきっと曲がりなりにも20代前半で人並みにそれなりの経験を一気に積んでしまったことも影響している。

今までは避けてきたことも避けては通れなくなっていた。その経験が自分の人格形成に幅を広げたのである。

また好きなものを好きと声に出すことの大切さを知った。
もともと自分をひけらかすことをあまりする方ではなかった。
でも自分の意思を持って自分の考えを伝えることの重要さを学び、それが自らを表現することであると思えることができた。

そもそも、今思うと自分はミーハーなんだと思う。

流行になりそうなものや、スターになりそうな人を見つけることが大好きだ。

ゴッドタンで初めてEXITみた時とかワクワクしたし浦和レッズユースの試合で橋岡大樹を初めて見たときの興奮は忘れられない。

そういった人たちを追い求めている。
今後ミーハーになり得る人たちが大好きなのだ。

この前観た『あちこちオードリー』で若林が「人への興味が止まらない」と話していた。その言葉にすごく共感した。

若林は『あちこちオードリー』を始めてからの自らの意識を口にしたが、
自分の場合は学生記者を経験した時からずっとそうなのである。

もともと人見知りだった自分が取材を行うことで、
今まで避けてきた初対面の人にいきなり話しかけるという前代未聞の行動をする。
それでも運動部を取材する中で選手の口から伝えられるたくさんのストーリーが自分の「人への興味」というリミッターを外した。

結果的に人にめちゃくちゃ興味ある初対面でも普通に喋れるやつが完成する。

そうやって自分を表現し、他人へ興味を増幅させた経験が流行ってるものが好きじゃないという腐りの壁を“それなりに”取っ払っていったのだ。

ただ一度腐ってしまったものを完全に蘇らせることは不可能で、
今でも爆発的にブームになるものへの関心は極めて低い。

いまだにtiktokのイメージなんてなんとかワンタイムっていう広告と全力〇〇始まるやつくらいで
みんながドルチェ&ガッバーナの香水のせいにする理由も知らない。

でも好きになる気持ちはないにせよ興味が0ではない。でないとこれすらも頭から抜け落ちる。ちゃんと話題のコレといえばこれと点と点を線で結べるようになったのは興味の延長だ。

きっと20代前半での経験で一番得たスキルは興味なんだろうなあ。

興味の掛け算ができるようになった。流行しているものや人からおすすめされたものでも興味が1でもあれば何倍にでも増やすことができるようになった。

そのかわり興味のないことには永遠に0のまま。
でもここは譲れないんだろうなと思う。
興味のないことにはどれだけ話をされても教え込まれても増えることはない。
23歳と7ヶ月を経過する今でも新鮮にそんなことを感じている。

だったら、興味1のものをたくさん探していこう。
1のものを探究して100にも1000にもする。

そうやって趣味も増やしてきた。
人間関係もうまくやるようになった。

腐った根っこにどっしり腰を据えながら、
興味の冒険を進めていこう。
腐った根から個性を匂わせながら。

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