あの頃には戻れない
あのときの文化祭は楽しかったよな、あのときのサークルの飲み会はヤバかった、なんであんなにバイトに打ち込めてたんやろうか。
時折10年前の自分と現在の自分を比較して成し遂げたことから背を向け、「しておけばよかった」という感情に苛まれ、思考を完全に支配される時がある。メンタルクリニックから処方された精神安定剤を飲み、アップルウォッチのマインドフルネスをひたすらすることでその思考から脱出しようと試みる。いよいよ、精神安定剤が手放せなくなってしまった自分はどうしてこのような事になってしまったのだろうかという漠然とした不安を抱えて布団に入り、睡眠導入剤・睡眠薬を飲み、強制的に脳をシャットダウンする。BGMには雨の音を流しながら次第に意識が無くなることを意識せずに寝る。
思い返せば、自分はそもそも「日本社会」に於ける「レール」を学生時代から脱線している。センター試験(現在は大学入学共通テスト)も受けず、エスカレーター方式で入学し、卒業単位ギリギリで卒業している。恵まれているといえばそれまでだが、学力に見合わない学歴に助けられているとしか言いようがない。もし並行世界の自分がこのままのスタッツで日本で生まれ育つとおそらく偏差値の低い高卒で止まり、地元に留まり、今頃戸建てをなけなしの金で建て、ローン返済に追われる生活をしているのだろうと思う。
「幸せ」とは何なのだろう。一個人が現状に満足しているこの状態は「幸せ」と呼ぶには異端すぎるのだろうか。
麻布競馬場氏の「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」を読み、嫌悪感を抱かざるを得なかった。この感情は今の自分が立たされている状況にある程度通じる部分があったためだと思う。
早慶に入り、この先の未来は安泰と思われたが、就職がうまく行かず、人間関係が希薄なこのご時世に地元から離れ、「東京」というモンスターに心を喰われ、劣等感を覚え、何もできない自分を絶妙な語句で自虐する。作中の登場人物はおそらく筆者と同年代で、今まさに自分のSNSは赤ちゃんの群れでいっぱいだ。
「月曜から夜ふかし」で数年前に取材されたスタッシーも「東京」というモンスターに喰われ、甚振られ、輪姦されたのだろう。
筆者も東京は好きではない。県外から出てきた者たちがまるでカイジのように己より劣る人間を踏み台にプライドを片手に、ステータスをもう片方に抱え、自分を高みへ上り詰めようとするが東京は帝愛地下帝国のように、陽の光すら浴びることができない。皆太陽だと錯覚した白熱球に群がるハエと何ら変わりないのだ。もちろん筆者もこの中にいる。東京にいるメリットは、はっきり言って無い。仕事があるから仕方がなく居る。2020年からコロナ禍に入り、在宅勤務という選択肢が出たため、東京から転出する人は増える一方だ。それはそうだ。「働く」ために「仕方がなく」東京にいた人の選択肢は「東京から転出する」であろう。
しかし残念ながら、現在マクロ経済情勢の中、迂闊に自発的な都落ちができない状態であろうことは否めない。日系企業では絶対に働けないと十二分に理解しているので、外資系の転職活動となると必然的に求人が東京に集まるため、地方にとっては不利に動く場合がある。
巷で話題のヤクルト1000を定期便で習慣として飲んでいる。噂通り悪夢を見ることが多い。その反面、心地の良い夢を見ることもある。それが2011〜2017の記憶だ。その頃は心もカラダも満たされてものすごく心地が良かったことを覚えている。旧友と話す内容もこの年代の記憶だ。ライブハウスで見るバンド、フェスの一体感、CD発売日当日にタワレコに初回版を買いに行ったり、その当時の感覚、視覚を鮮明に思い出す。
長期型の睡眠薬を翌朝に持ち越し、朦朧とした夢の記憶を記録にとどめ、懐かしのバンドを聴く。その頃聴いていた音楽が、もしかすると今の自分を東京というモンスターの餌食になることから防いでくれているのかもしれない。
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