米国一強の時代は終わり
かろうじて80年代までは正規の手続きをすれば「アメリカンドリーム」を掴む機会があった。冷戦後、基軸通貨であった米ドルの影響力は大きく、自国の貨幣が信用できない国はドルに頼りっぱなしだ。だが、筆者は個人的に思う。「アメリカのその影響力は弱まりつつある」と。
一般的にZ世代と呼ばれる年代は広義的だが、筆者は90年代から00年代まで生まれの人を指す言葉ではないかと。米国で生まれ育ち、感じることは終わりの見えない絶望だ。
昨今は「多様性」についての議論が活発に行われるようになり、LGBTQ+のコミュニティは合衆国憲法で基本的人権の尊重を促すようになり、様々なPronouns(代名詞)が生まれ、多用される時代になった。外資系企業の応募画面でも、人種、性自認等の「任意」のアンケートを送らないといけない。
流石に筆者にもわかる。he/him, she/her they/them。ここらは理解できる。だが、Xe/Xer・・・?!FTM、MTFもわかる。
「自由の国アメリカ」は国民全員の「自由」と引き換えに「不自由」になった。性自認と行政の定める性はまた別物であり、性自認はあくまで「自称」に過ぎない。
筆者も若かりし頃は「なんとなくアメリカに駐在して、自分の子供達がバイリンガルになって将来の選択肢が増えるようにしてあげたいな」と思っていたが、残念ながら「アメリカ」は選択肢ではなくなった。学校への無差別乱射事件、スタグフレーション、失業率、麻薬の横行 etc… それに加え、ポリティカル・コレクトネス、アファーミティブ・アクション、キャンセルカルチャー。自由という名の不自由に雁字搦めになった米国の若者はもう米国から離れている。
かつて「自由」を求めて戦った有色人種のマイノリティの同志が「自由」を享受できる頃には、自らが発信する内容に十分気をつけないといけないというジレンマ。こんな環境下は果たして「自由」と言えるのだろうか。
現在進行系で起きているウクライナ戦争。米国は武器の供与の支援で予算のうちの防衛費が過去一で多い。直接的な戦争への回避を避けて、経済的な支援を継続している。本格的にアメリカ軍が参戦したわけではない。いずれにせよ緊張は続く。
身近な話では、台湾有事。中華民国の台湾「奪還」に対し米大統領バイデン氏は「防衛する」と初めて明言した後のインタビューでも繰り返し明言している。
だが、バイデン氏のこの「口約束」は本当に守られるのだろうか。
米国は台湾防衛に対する正式な文書に署名をしていない。これは様々な外的要因が含まれるがここでは割愛する。中華民国の台湾侵攻は目と鼻の先であり、膨らみすぎた風船がいつ爆発してもおかしくない状況であることは間違いない。与那国や日本の最南端の島々が脅かされる危険性も否めない。本土に拠点を多く米軍基地も活発に動くし、日本は米国の傀儡国家なので自衛隊がこの戦いに参加するとなると露・北は少なくともこの戦いに参加するだろう。
これは筆者の陰謀論的な側面を持ち合わせているが、ワグネルのプリゴジンが搭乗していた旅客機の墜落はロシアの作戦では無いと感じている。長期化し、もはや持久戦に持ち込んでいるこの戦争で1番利益を得るのは誰だろうか。武器や戦闘機を製造する企業。その企業の株を国の正式発表前に米国議員に流れ、株式利益で懐が潤っている彼らが、遠く離れた欧州の一般人の命を期にするだろうか。カネに目がくらんだ議員がこの戦争を長引かせているのではないか。と。たとえそれが世界中の材料費高騰による価格上昇につながるとしても、大金を前にして人間が合理的判断を下せるだろうか。
少なくとも、筆者のライフプランから「米国に住む」という選択肢は消えた。昨今のバイデン政権が見せるパフォーマンスは虚勢をはっていて、米国の発言力とその影響力が薄れてきているのは国内外の情勢を見れば一目瞭然だろう。
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