欲求は満たされるものなのか
先日湾岸線を車で走りながら思いつき辿り着いた物をこれからここに記すわけですが、賢者モードに入ってみると、「当たり前やろ」と思われる内容かと思います。とりわけ読書を幼少期から習慣化してこなかった故、知識不足であれば本当に申し訳ない
表題の「欲求は満たされるものなのか」という問いですが、結論から言うと欲求というものは穴の空いたコップのように、次々に水を注がないと常に「満たされていない」と感じるんだと思ってます。筆者の心のどこかにもその穴が開いていて、あのような感情が出てきたのかなと思います。この穴を埋めるにはどうすれば良いのでしょう。
人の欲求というのは個人的には非常に醜いもので、いっときの快楽に導くための脳が身体に行う極めて下劣な衝動だと思っています。この漠然とした「満たされていない」を紐解いていけたらなと思います。
何を持って人は満足するのでしょう。欲求というのは目標を達成するための材料なのでしょうか。例えば、高額な商品を買うにはまずはある程度貯金して買うというのが一般的な考え方だと思います。でも、全てにこの法則が当てはまりますでしょうか。例えば、写真を勉強したいのでカメラを貯金して買うとしましょう。けど、その貯金期間に実際に手に取ってみて構図を勉強したり、写真を現像したり、光の当たり方を見て写真を撮ったりする「経験」は貯金をしている間はできません。経験をお金で買うのであれば低金利もしくは金利0%のローンを組んで買って早めに行動に起こすことこそがあなたにとって最適解ではないでしょうか。「買いたい」という欲求を「満たす」のであればエントリーモデルの中古でも良いじゃないですか?
家、車、地位、全てを手に入れても満足しないのは、もしかすると筆者の「満足」の概念が歪んでしまっているからなのかもしれません。
筆者はフェミニズムのコラムや欧米で今起きているインセル・ミグタウなどのジェンダー論に一時期囚われていたことがあります。結局複雑で日本語でのアウトプットができないぐらいの欧米特有な文化的側面も含んでいるのでここでは割愛します。ジェンダー論の資料の中で目にしたのは日本の未婚男性の幸福度は諸外国に比べて極めて低いという醜い現実です。カネ、地位、それら全てを手に入れてもなお、幸福とは思えない人が多いのです。裏を返せば、カネも地位も何もない人に幸福という文字は存在しないのです。
幸福度の指標としてよく用いられるのが年収です。ここでの年収が額面なのか手取りかはさておき、人は800万円を超えると幸福が横ばいするというのは一度は聞いたことのある話ではないでしょうか。
では、なぜ800万円を超えると幸福度が上昇しなくなるのか。それはおそらく「全てを手に入れた」が故に現れる「満たされない」という感情なのだと思います。
転職サイト大手のDodaが実施した調査では20代で年収が800万円を超える人の割合は0.2%です。筆者と同年齢の全体平均は376万円でした。同年代で800万円を超える人はGAFAなどの外資系だったり、外資コンサル、某精密機器の営業や広告代理店と、業種は違うものの、バリバリ仕事をしている人でした。この人たちももしかすると「満たされない」と思ったりするのでしょうか。
参考までにマズローの欲求五段階を上記に貼りました。
「満たされない」には二種類あると思います。成長欲求のフェーズと欠乏欲求のフェーズで、多数派を占めるのは後者ではないでしょうか。生理的欲求、安全の欲求は年収800万円を超えると必然的に保障されていると言っても過言ではないです。未婚独身男性で結婚願望があり、なおかつデータの通りの平均年収であれば、承認欲求と所属と愛の欲求が自己のプライドとエゴにマジックテープように引っ付きます。ヘテロセクシャルであれば恋愛をして結婚をしたいと思い、筆者の年代のように結婚ラッシュが始まって、日々更新されるSNSの投稿を指咥えて見て、ますます欠乏欲求に駆られてしまい、頭がおかしくなりそうになっているのではないでしょうか。
正直なところ、筆者は結婚の兆しもなければ独身で、パートナーが欲しいとも思っていない現在、欠乏欲求の渦に巻き込まれているのでしょうか?組織では個人としての必要性を毎日実感させられて満足しているし、他者に見せびらかすことで得るような下劣な承認欲求を持ち合わせている訳でもない。十分認められている、1人でも生きていけると思ってしまったが最後、自己実現の欲求と承認欲求の間の「なにか」に牢獄されているのでしょうか。
もしかすると、理解のあるパートナーがいれば、コップの穴を塞いでくれて、満たされるのかもしれません。
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