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一杯10,000円のラーメンに寵愛を注ぐ理由
WAGYUJIROが大好きだ。よく言われる事がある、それはこうだ「よくラーメンに10,000円も出せますね~信じられない」
いわゆるコ・ス・パ重視の方々だ。そして、こうも言われる、「ラーメンなんて、1000円も出せばメチャクチャ旨いの食べれますよ!」
それを、ただ黙って聞くのだ。何故ならば、その意見が正しいからだ。
人それぞれ、同じ人がいないように色々な選択肢があっていいと思う
思う、お金を使う事は選択をし自らの生き方を表す行為だと。
例えばコンビニに寄り、コーヒーを買ったとする。理由は、コーヒーが好きだとか、安いからとか、喉の渇きを満たしたかったとか様々だ。しかし、それも自らの意思で選択、決断をし購入している。
立派な意思を表明してる行為ではないだろうか?
つまり、WAGYUJIROを消費する事によって、そこで働くスタッフ、シェフ、材料を提供している牛飼い、生産農家の人たちの給料になる。
その給料を受け取った人たちが消費行動をし、そのお金がまた誰かの給料になり、世の中全体を潤していく。
これが筆者の言う、幸せのバトンタッチだ。
11000円というラーメン、ぶっ飛んだエクストリームな事だ、しかし完成までに膨大な時間と、あり得ない位の食材を使って究極に磨き上げ芸術作品として完成させる。
まるで、飲食界のF1だ。いや、リシヤールミルだな。
ここで、ある人の言葉を思い出した。
お金を誰のためにどう使い、どう回していくのか。その先にどんな未来をつくれるのか。君もまた、その輪の中に入っている一員なのです。
そんな事を考えた、朝だった。