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「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論547」

皆さん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。

~Fitness Business通巻第15号(2004.11.25発行)「スイミングクラブの成長戦略」20~※名称等は当時、一部文章省略

Ⅲ成長クラブの事例研究

事例研究6「子ども向けスイミングクラブを移転新設で大人中心のイメージに一新」(株式会社レックス「フィットネスクラブレックス」)

株式会社レックスの代表取締役、F氏は2年前、それまで携わってきたスイミングクラブを移転新設することを計画し、フィットネスクラブとして生まれ変わらせた。
会員数を600名まで落としていたクラブが、現在、2,400名(子ども330名含む)の会員で賑わっている。

F氏も長年水泳選手育成に情熱を傾けてきた一人。
W大学で水泳選手として活躍した後、東京スイミングセンターのコーチを経て昭和54年(1979)、大学時代の先輩との縁で福岡の地に赴き、スイミング選手強化を目的にスイミングスクールをネットワークする任意団体を立ち上げた。
この団体は、選手の育成ノウハウを共有したり、プールの備品などを共同購入するなど、スイミングクラブの活動をサポートする業務を行っていた。
昭和58年(1981)に同団体をKSGスイムサービス株式会社として法人化し、その拠点となるスイミングスクール「古賀スイミングスクール」を設立した。
当時、F氏は九州産業大学の職員として働いていたため同社に名を連ねることができず、影で経営に携わることにした。
同クラブは3㎞圏内人口50,000人でありながら、一時1,200名以上の子どもを集客し、地域に密着したクラブとして支持を得ていた。
ところが平成3年のバブル崩壊以降の不景気に加え、同クラブから700~800m先に競合スクールが進出してきたことから経営が悪化。
平成10年(1998)には生徒数が600人にまで落ち込み、スクール自体では赤字に陥った。
幸いKSGスイムサービスとしては、スイミング用具などの販売業も手掛けていたため、クラブの運営は続けられていたが、このままでは将来負担になることは間違いない。
そう感じたF氏は、平成12年(2000)4月、当時まで勤めていた仕事を辞め、同クラブのテコ入れに本腰を入れることにした。

F氏はスイミングクラブ業界で成長している企業を研究、当時その多くのクラブがプログラムを増やして会員制を導入し、大人向けにクラブをマーケティングし直して再び成長軌道に乗せていることを知る。
そこで、KSGグループの関係者でアクアエクササイズに詳しいインストラクターに話を持ちかけた。
「プログラム1本につき50,000円を払うから、古賀スイミングスクールのコーチたちがプログラムを指導できるように育ててくれないか」。
以降、毎週日曜日の午後の時間を使って5~6週間で10本のプログラムを提供できる体制を整えた。
そして平成12年(2000)4月、プールのプログラムを週40本へと倍増し、会費を一律5,000円として成人にターゲットして募集することを決めた。
宣伝広告にもお金を掛けた。
それまで年間の広告宣伝費は150万円だったのを、この時は3ヶ月で300万円を掛けた。
効果はてきめんだった。
もともと成人会員100名、子ども会員500名の600名体制が、7月までに成人会員が600名にまで増えた。
たった3ヶ月で合計1,100名まで復活させることに成功したのである。

~ここまで~

対象を子どもから大人に振り向け、スクール制から会員制を導入したという新市場に新商品を投入する分かりやすい戦略が当時、奏功した事例です。

現在は、このような空白領域が減っているため、短期間でのV字回復は業界として難しい成熟段階に来てはおりますが、そのような余地が残されているエリアやクラブでは、まだまだ手法として通用すると思います。

もちろん十分な受け入れ態勢を取ることができればという前提ですが、パンデミック以降、既存の延長線上で回復の芽が無い場合、視点をずらすという方法論も一向に値すると考えます。

お読みいただきありがとうございました。

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