5月20日(金):倍速視聴と情報消費
先日には「ガラパゴス的ガチャ」と題してカプセルトイの変遷について記しましたがそれに関連した話を少しばかり。
そこでは第1次から第4次までの流れを概観した時に、第4次のブームはそれ以前と比べて明らかに毛色が違うものになったことに触れました。
第1~2次はキャラクターが持つ魅力やそれに対する愛着、それらを集めたい、揃えたいという「蒐集」であり趣味の世界で、第3次はスマホの普及によりシェアを意識した消費行動の側面はあったものの、まだ所々に日常の実用性と絡んだ商品ではありました。
これに対して第4次は実用性が皆無になってきて完全なネタ消費に特化したものが大半を占め、商品もある意味では「なんでもアリ」なカオスの様相を呈しているのが現在のガチャだといえます。
そうした文脈とつながってくるところに一昨日の日経新聞の春秋欄でも取り上げていた若年層を中心に広がる動画配信の倍速視聴の行動、心理があると感じています。
コラムでは書籍「映画を早送りで観る人たち(稲田豊史著)」の内容を引き合いに、これは「一種の『生存戦略』であり、溢れるコンテンツ、知らないことで周りから取り残される恐怖、個性的でなければ、との強迫めいた観念に駆られ、過食症のごとく情報の『カロリー摂取』に走るがゆえ」と触れています。
映画のような作品を鑑賞するのではなく、ひとつの情報として消費し、記号的に知っておくことが目的化していく傾向ですね。
同じ動画でもミーティングやセミナーのように、それがもともと情報として配信されているものはポイントだけを確認するために私も視聴速度を上げることはありますが、映画を倍速でみる感覚はありません。
映画であれば全体のなかでの時間の流れ、間も含めて意図は込められているし、それも含めてひとつの作品であり、世界ですからね。
でも、そうしたものを受け止めたり、自分で解釈していくことよりも、時間のムダを減らしていかに多くを観ておくか、知っておくかが重視されているのでしょう。
ハズレを引いて時間を無駄にしたくない気持ちは分からなくもないですが、だからといって他者のレビューだけを気にして選び、さらに倍速で視聴となると、もはや消費というより確認作業に近い気もします。
そこまでいくと効率や合理性の極致だと思いますが、情報や記号的に消費していくだけだと感じたり、考えたり、といった行為がすっ飛ばされてしまいがちです。
若年層のこうした傾向や消費行動を受けて、コンテンツ作りも分かりやすさへの工夫などが求められるようになっていくとのことですが、それを進めていくと単純化、陳腐化してしまう懸念はおおいにありますね。
情報収集は必要ですが、それとは別に自分で何かを感じ取り、逡巡するような場も大切にしたほうが良いだろうなと思っています。
「自分の感受性ぐらい自分で守れ ばかものよ」
茨木のり子さんのそんな言葉が聞こえてきそうです。
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