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12月4日(月):「孤独」や「居場所」について、ローカルなフィットネスクラブからの模索①

このところはWHOが「孤独を差し迫った健康上の脅威」と位置づけたことを受けて関連したことに触れていますが、本日もその続きです。

社会的つながりが乏しい、あるいは不十分な状態は心臓病のリスクを29%、脳卒中のリスクを32%増加させ、不安、うつ病、認知症、呼吸器系疾患、ウイルス感染のリスクも高めるという研究結果から、「孤独が1日15本の喫煙に相当する健康への脅威」と表現されています。

この状況に対してWHOでは「社会的つながりに関する委員会」を発足させ、今後3年間で孤独の蔓延を「世界的な公衆衛生の優先的課題として確実に認識し、資源を動員する」としていますが、昨日も記したように孤独を和らげるためには「ローカル」での取り組みが不可欠です。

孤独を緩和していくためのフォローやまなざし、相手への興味関心や配慮も物理的距離と心理的距離における「一定の近さ」があってこそ成り立ちます。

それゆえローカルな問題、ローカルな取り組みとして自分たちに引き寄せて考えていくことで、地域や自分の居場所からできそうなことが見えてくる面もあります。

私たちでいえばスクール制の小型フィットネスクラブを運営する民間企業なので、そのような立ち位置からできることを模索していくことだと思っています。

「居場所」の有無は孤独とも密接に関係してきますが、居場所の定義には「主観/客観的承認」の要素があります。

これは、ある場所を本人が主観的に居場所として承認するか、第三者が客観的にその人がいるべき場所だと承認するか、との軸です。

具体例として自宅の自分の部屋が一番落ち着く人にとっては、そこがその人にとっての主観的居場所となります。

また行きつけのカフェや飲み屋などが落ち着く場になっているケースでは、それもまた主観的居場所の位置付けです。

それに対して客観的居場所は第三者が客観的にそこにいることを承認する居場所を指し、学生にとっての学校や部活、会社員にとっての会社など、その人がその場にいるためのメンバーシップが客観的に保障されている意味合いです。

これを自分たちフィットネスクラブに置き換えた時に、主観的な承認はお客様本人による感じ方、捉え方だから、それを私たちクラブ側が直接的にどうこうできるものではありません。

そこで大事になってくるのが「客観的な承認」です。

具体的にはお客様がメンバーシップを感じられるように、クラブが居場所である点への客観的な承認を表現していくことでしょう。

一例では、すべてのお客様のことを個別に把握をして、お客様をお名前でお呼びすることです。

すべてのお客様をお名前で呼べるということは、お客様を「その他大勢」ではなく「固有の存在」として捉えていることに他なりません。

そしてお名前で呼ぶということは、そのように捉えて、ちゃんと見ていますよ、わかっていますよ、というメッセージを発することと同じです。

加えて来館してくださるお客様に対して「感謝」や「お待ちしておりました」という気持ちを言葉や態度で表していくことが大切になります。

来館をした時に自分がウェルカムで迎えられたり、自分が来ることをわかっている、待ってくれていたと思えたなら、メンバーシップとしての客観的な承認を感じてもらえるはずです。

定期的に来館をしてもらい、会員制であるフィットネスクラブは、メンバーシップとしての客観的な承認につながりやすく、居場所になりえる場所だと捉えています。

明日も「孤独」や「居場所」について、ローカルなフィットネスクラブからできることを模索する話を続けようと思います。

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