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365日色の話 日本のシンドラー! 世界に誇る「命のビザ」「杉原千畝」を語り継ぐ孫娘まどかさんの旅。

反町隆史さん主演のドラマ「日本のシンドラー杉原千畝物語」を
今だからこそもう一度しっかりと見たいと思いました。

日本が世界に誇る偉人杉原千畝。
「命のビザ」を発給し、
窮地にある多くのユダヤ人を救ったのです。

第二次世界大戦である1939年から
リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原千畝は

ナチス・ドイツの迫害により
ポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情し、
1940年7月から8月29日にかけて、
大量のビザを発給し、日本経由で避難民の多くを救った人です。
「命のビザ」です。

大戦終結時の1945年から
ブカレスト郊外の捕虜収容所に入れられ、
1947年4月に日本に帰国しました。

この事実は映画にもなりましたが、
2005年のドラマ反町隆史さん主演の
「日本のシンドラー杉原千畝物語六千人の命をビザ」
本当に素晴らしく、感動しました。

私はこのドラマを見るまで、
このような人道的な行動をとられた、
杉原千畝さんの偉業を
恥ずかしいことに、
全く知らなかったのです。

今回のNHKBSの特集は
「祖父はユダヤ人を救った ガザ攻撃と“命のビザ”」
杉原千畝さんの孫娘、杉原まどかさんの「杉原千畝」を感じる旅でした。

まどかさんは、行ってみたかったホロコーストに向かいました。
ユダヤ人が運ばれて行った線路です。

ホロコーストが見えてきました。

杉原千畝、祖父が助けた命と助けられなかった命を思い
複雑な気持ちに。。。

「みなさんに私が会いに来た、鎮魂の意味を含めて会いに来た」
と語りました。

ここが、ユダヤ人の終着点でした。

殺されたユダヤ人の20パーセントは小さな子どもだそうです。
その数は21万6000人以上。

数十分でガス室に。。。

終戦直後にここは破壊され、証拠を無くそうとしたと思われます。
まどかさんは、杉原千畝の思いと対峙しました。

杉原千畝さんは「どんな民族でも僕は助ける」と話していたそうです。

ホロコーストには、毎年多くの見学者が訪れます。
2023年の訪問者は167万人でした。
姪もホロコーストを訪れたとか。

ガス室の隣がここです。

ホロコーストを後にして
まどかさんは、自分に何ができるか考えていました。

つまずきの石
ホロコーストの記憶の取り組みの1つです。

その人物が収容所に移送される前に最後に住んでいた場所に
10センチ角の真鍮のプレートに、
名前、生まれた年と場所が刻まれてたものが埋め込まれます。

ドイツで始まり、ヨーロッパの各地にも今では10万個もあるそうです。

つまずきの石のことも初めて知りました

制作者のグンター・デムニッヒさんです。

ドイツは反ユダヤ人主義を強く戒めています。
レストランなどでも、右手を掲げて、呼ぶのをタブーとしているそうです。

グンター・デムニッヒさんは、ガザで起きていることは大惨事で、
イスラエルのやっていることはファシストのようだと言います。

多くの人たちが、つまずき石に花を手向けます。

まどかさんは、祖父の杉原千畝さんと同じ思いに至りました。

子どもたちは、ガザに生まれたくて生まれたのではない、
子どもの命を少なくとも助ける努力をするべきであると。

まどかさんは「一日も早く、あの壁の向こうの自由なところに
行かせてあげたい」と強く思いました。


杉原千畝さんは日本に戻ると
国の命令に背いたため、

外務省を免職処分となりました。
その後は職を転々とし、NHKの通訳者をしていたことも。。。

1924年に
白系ロシア人のクラウディア・セミョーノヴナ・アポロノワと
結婚していましたが、離婚。
正教会の洗礼を受けたそうです。
後に幸子さんと結婚しました。

1986年に杉原千畝さんは86才で亡くなりました。
それから、6年。

杉原千畝さんの人道的偉業がようやく認められました。
空しいことです。

まどかさんと祖父の杉原千畝さんと祖母の幸子さん。

今、まどかさんはNPO杉原千畝のビザ副理事長を勤めているそうです。
ここでは、杉原千畝さんの母校を訪ねて
杉原千畝」の思いが忘れられないように
みんなで発信してくださいと話されていました。

杉原千畝さんのビザによって助かった「杉原サバイバー」の方々や
そのご家族、ご遺族と交流があるそうです。

リトアニアの領事館の前に植えた2本のりんごの苗は、
あれから84年、
天に向かって大きくなっているそうです。

私も、ささやかですが、
「杉原千畝」さんの偉業を伝えていきたいと思いました。

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