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弱い創発

ホップフィールドとヒントンがノーベル賞受賞!機械学習の進歩がすさまじいとはいえ、物理学賞には驚きがありました。いわゆる教科書的物理学とは異なりますから。どちらかというと工学というか。


イギリス創発主義が衰退したのにも関わらず、1990年代に創発に関する論文が多く出版されており、さまざまな分野で創発という言葉が使われています。一方で、1990年以降の創発と、イギリス創発主義とは大きな違いがあるように感じます。その違いをよく示しているのが、Bedau, "Weak Emergence", 1997. という論文です。この論文は1000件以上引用されており、影響力があったものと思われます。

概要

イギリス創発主義の特徴をまとめると、彼らは下向きの因果があると主張していたことだと言えます。下向き因果は、全体がそれを構成する部分に対して因果関係を持つことです。全体は、部分の働きによって決まるのに、なぜ、全体が部分に対して自律性を持つと主張することができるのか理解することができないとBedauは主張しています。

たしかに、全体は部分と独立ではないのだから、全体が自律性を持つというのは論理的におかしいと考えられます。そこで、このような強い意味の創発と区別して、弱い創発を提案するというのがこの論文の趣旨です。

弱い創発の科学とは、当時新しい学問分野であった、複雑系の科学を指しています。弱い創発の特徴は、部分の相互作用から生じるマクロレベルのパターンは、相互作用原理から予測することができない、という意味で「創発的」です。一方、強い創発との大きな違いは、下向き因果を不要とするという点です。弱い創発では、マクロレベルの創発したパターンが、部分に対して因果的効力は持たないと仮定しています。

Bedauは、このような弱い創発でも、A-Lifeのように生命のモデルになり得るはずで、強い創発が主張した、意識や生命の創発を説明する科学的モデルになるはずであると主張しています。

所感

創発の歴史を紐解くと、全く異なる創発主義が存在することに困惑することがあります。特に哲学では、下向き因果がある場合とない場合とで、強い創発、弱い創発と区別することが多いのですが、科学では、弱い創発を「創発」と呼んでいます。理由は、「強い創発」は科学になっていないからです。

Bedauがいうように、その後、A-Life研究はそれなりに発展しましたが、現在は、ノーベル賞を受賞したAIとは大きく水を開けられていると思います。
Bedauがいうように、生命や意識が、弱い創発で明らかになったのか、というと疑問で、彼の考えはかなり楽観的であったということができると思います。

私は、これからは、弱い創発の研究を超えて、強い創発の科学研究を発展させる必要があると思っています。生命とはなにか?意識とはなにか?心とはなにか?弱い創発は、現在のところ、こういった難しい問題に対して回答を与えるようなものには発展していません。

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