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クリックの生命論

F. クリックは、DNAの二重らせんの発見で有名ですが、「分子と人間」という書籍で、意識に関して議論しています。
クリックは、意識の神経相関という概念を提案して、意識の科学研究の土壌を形成しました。
この「分子と人間」では、生気論という考え方を批判し、意識がどのように説明されるべきか論じています。

生気論の本性

生物学における現代的運動の究極の目標は生物学全体を物理学と化学を用いて説明することにあります。

クリック「分子と人間」

生物学全体がその下のレベルによって説明されて、ついには原子レベルまで行きつくことが期待されます。

クリック「分子と人間」

それ(生気論)は、生きた系の成長やふるまいを統御する何か特別な力があって、それは物理学および化学の普通の概念によっては把握されえないということを意味しています。

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生気論のような教義が必要であると考えられている理由は、われわれがただちに利用できる諸概念によっては容易に説明できないような複雑な型のふるまいをわれわれがみているからであるというのがわたしの一般的論題です。
わたしには3つのそのような領域があると考えられます。
第一の領域は、生物と無生物の境界線
第二の領域は、生命の起源
第三の領域は、意識

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(生気論的な)科学者はしばしば生物学的な系においては、物理学や化学には包含されえない特殊な法則があるだろうと考えるのを好みます。
ある意味で、自然淘汰はそのような特殊な法則であると主張することもできましょう。しかし、それに類似したものが、たとえば開いた系の化学からもひきだしえないだろうということは少しも明らかではありません。
化学工業の研究が自然淘汰に類似した法則をみいだすかもしれないということは十分に考えられます。

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前途に期待されるもの

われわれは、分子生物学がすでに、最小のいきもののところでおこっている基本的過程の多くを、大筋においては説明できるということを見てきました。そこで、この生物と無生物との境目にはとくに普通でないことは何も存在しないということを確認するために、これからさき、どんな知識をわれわれは必要とするかを問題にしても、おかしくないでしょう。
一つの研究計画は、一つの微生物についてあらゆるものを見つけ出して、どんな機能が問題であろうと、その構造を知っているもろもろの構成部分のあいだの相互作用として説明できるようにする計画であると言うことができましょう。

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脳は実際に個々の神経からつくられており、なんら他の原理にもとづいてはいないことが発見されましたので、神経の性質に関するこの発見は、単一の発見としておそらく最も重要なものでありましょう。

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われわれはわれわれ自身をーいかにしてわれわれの脳が働くか、われわれに意識があるのはなぜかをー理解することを望みます。

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われわれはすでに多くの人々が強調しているように、機械が人間の機能の多くを引き受けるようになりつつあること、そして機械とのつきあいが人間にとってずいぶんわずらわしいものになりつつあることをさとる必要があります。
わたしはたいへん複雑な凝った機械とつきあわねばならないことが困難をもたらそうとしていること、そしてこの発展がわれわれの障害のうちにおこりそうだということを確信しています。
わたしは、このような事態によって最も当惑するのは、なんらかの意味で霊魂の存在を信じている人々であると思います。
霊魂が死後存続しうると考える人々は、しばしばESPを信じがちであり、二人の人間の心は何かあるい未知の、おそらくは物理的なものでない機構によって直接に交通することができると考えがちであります。
ESPには本物の実験は一つもなく、まやかしによるものばかりです。
霊魂というものは想像上のものであって、われわれが心と呼んでいるものは、われわれの脳の機能について語る一つの言い方に過ぎません。
真の困難は、意識をもっているというわれわれの経験の生々しさにあります。

クリック「分子と人間」

元来キリスト教的価値観の上に築かれた古い文化、あるいは文学的文化は、明らかに死につつあり、他方、科学的価値観の上に立つ新しい文化、科学的文化は、急速に成長しつつあるとはいえ、まだ発展の初期段階のあります。これら2つの文化のあいだの分裂と、一方は徐々に死につつあり、他方はまだ幼いが活気にあふれているという事実を把握することなしには、今日の世界において進むべき未知をはっきりと見定めることは不可能であります。

クリック「分子と人間」

最後に、「生気論は亡びたか?」という問題にうつりましょう。わたしには、いやいやながら、やはり「否」と答えざるをえないように思われます。この題目に関する科学的な知識をじゅうぶん承知しながらも、なおかつ生気論的な考えを本気で信じている知的な人々が生存しているあいだは、われわれはまだ生気論は亡んでいないと結論せざるをえません。これらの生気論的な考えがどえも、私が信じている通り、すべて誤りであり、増大した科学的知識によってそれらの誤りが結局は証明されるとしても、今のところはどうしたらそれらの誤りを証明することができるかという問題が残っています。

クリック「人間と分子」

神経系の知識が得られたとき、そして速いコンピュータの研究がもっと進んだとき、そのときには脳に関する生気論的な考えは、現在分子生物学で生気論的な考えが異様に見えるくらいに異様にみえるようになるであろうとわたしは思います。正確な知識こそ生気論の敵であります。

クリック「人間と分子」

生気論を信じているかもしれない諸君にわたしはこう予言したいと思います。昨日は万人が信じており、そして今日諸君が信じている説を、明日は変人だけが信じるでありましょう。

クリック「人間と分子」

「意識を語る」

クリック:厳密にいうと、興味があるのは原因段階だ。でも人はまず相関を探し、それから原因を探す。

ブラックモア「意識を語る」

クリック:基本的に哲学者たちはいい質問をするけれども、答えを手にする技術を持っていない。したがって、かれらの議論にあまり注意をはらっちゃいけないんだ。

ブラックモア「意識を語る」

クリック:ある意味で自由意志は付帯現象である。
クリック:決定論に違いないと思う。これに取り組んだ人たちがまちがった説明ー脳とは別に何等かの魂みたいなものがあるーを選んだだけのこと。かれらは本質的には二元論者だ。
クリック:わたしは完全な一元論者だ。

フラックモア「意識を語る」

クリック:意識の原因とは何かをただ単に知りたい。科学的な説明が欲しいところだが、その説明内容を前もって知ることはできない。ある人が就任講演でこんな質問を受けていたよー重要な次の一歩はなんですか?かれはこういった。「いやそれがわかっていれば、わたしがその一歩を記しているよ」。

ブラックモア「意識を語る」

所感

クリックは、晩年意識の研究を行い、NCC(意識の神経相関)という考えを提示した。
クリックは、宗教が嫌いで、同時に霊魂などの生気論を嫌っていた。
決定論者で、一元論者で、自由意志を信じず、還元論的な考えを強く感じる。
自然淘汰すらも、生物固有の原理ではなく、化学によって説明されると考えていたようだ。

わたしは、ここまで極端に、すべての現象が下位のレベルから説明できるとは思わない。死後の霊魂は信じないし、世界は物質によって構成されているとは思うが、一方で、物理や化学では説明できないような「特殊法則」が存在すると思う。
どちらかというと、科学において、異なる階層間を接続するための理論が不足しているというのが問題であると思う。

また、NCCに関しても、相関から原因を見つける方法論自体の限界も近年指摘されている。たとえば、フィードバック制御系では、原因(外乱)などの情報は、制御によって打ち消されてしまう。神経系にある種の負のフィードバック制御がある場合、相関から原因を見つけられないといった主張もされている。フィードバック制御があるところでは、相関を見つけたところで、本当に知りたい原因はわからないかもしれない。

フィードバック制御では、カルマンが観測と制御の二元論を定式化している。線形の系では、観測可能性と制御可能性は、独立に決まる。非線形の系へ一般化できるかはわかりませんが。わたしは、この制御と観測という2つの異なるメカニズムからフィードバック制御が成り立つということは大事だと考えています。なぜなら、制御と観測が、異なる階層で生じる事が可能であるからです。このことは、ミクロ決定論ではなく、マクロがミクロを拘束することを可能にします。クリックが信じるようなミクロ還元主義、ミクロ決定論に対して抜け穴が生じると思うのです。


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