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山内が助かる方法思いついた



注意⚠️望月の烏までのネタバレを含みます。




こんにちは。山内が助かる方法を思いついたので発表します。

まず前提として、もはや山内は滅ぶほかありません。現状そのものから見出せる理由も枚挙にいとまがありませんが、そもそも山神は、人間の女性が本人の意思に関わらず生贄になることでその存在を継いできました。
そんな山神の荘園である山内もまた、多くの少女たちの生贄を犠牲にしている以上、現代的な価値観から見れば罪深い世界であり、時代の変化と人権思想の浸透に準じて生贄文化ともども廃れるのが当然の場所と言うほかありません。

しかし、人間一人一人に尊厳があり生贄にされる筋合いがないのと同様に、八咫烏もまた大人しく滅びるべき存在ではないことを、読者である我々は知っています。
たくさんのキャラクターたちを見守ってきた読者として、八咫烏たちが儚く消え去ることなく、さりとて少女の生贄という犠牲を看過するような悪徳を背負わされることなく、尊厳ある未来を手に入れることを望むのは当然のことでしょう。
このシリーズがハッピーエンドを迎えるためには、現代の倫理観に順応して人と八咫烏の旧来の関係性を変革する必要があるのです。
つまり、拉致監禁処女受胎というシステムを、令和的コンプライアンスに基づく問題のないシステムに改善することが山内の未来には必須といえます。
そんなことは現実的に考えれば不可能です。雪斎が取った手段のように、保護者のいない子供達を洗脳して信教の自由を奪うことでしか、山内を信仰する集団は再現不可能に見えます。
そしてこれからも人間社会から罪のない女性を攫いつづけるか、自分を人間と思い込まされた八咫烏の少女を犠牲にするかを選び続ける薄暗い道の他に、山内が続く方法はないように思われます。
しかし、そんなのは絶対嫌だという意志を持ってシリーズ全体を読み返したところ、いくつかの伏線が示す一つの明るい筋道が見えてきました。
愛しい山内がより良く続く方法の一考察について、できるだけロジカルに書き記しておきたいと思います。

八咫烏シリーズの既刊を読破し、その内容を記憶されている方が閲覧していることを前提に、結論を先に述べておきます。
皆様も、シリーズのところどころに「志帆殿一億人クローン計画〜山内村改め志帆村〜」をやりますよという伏線が散りばめられていることが読み取れたことと思います。
然るべき結論に至るべく、まずは山神信仰システムについて再確認していきましょう。

まず、山神の存在が存続するために必要なものは以下の二つです。

・山神を信仰し儀式を行う人間を自認する集団
・逃げ出さず責務を果たす若い人間を自認する女性の生贄

非常にシンプルかつ難題です。なぜなら元々山神を信仰していた人々は山神の雷と天狗の嫌がらせによって退場済みであり、事実として信仰は既に途絶えているからです。
そのため雪斎は山内村に谷間の孤児たちを入植させました。いずれは彼らのなかから生贄の少女を選んだり、攫ってきた女の子を彼らの手で捧げさせる予定なのでしょうか。種族を問わず女どもに子を産ませる意思に満ちていますね。
しかし、志帆に愛され愛を知った山神はもはや価値観の変革を経ています。殺すことができなくなり、謝ることを覚えた彼は、生贄によって存在を持続する神の本能以上のものを手に入れることができたと言えます。
そんな椿にとって今や人権を剥奪された生贄は到底受け取り難い物になっているでしょう。だからこそ、山内信仰の終わりを自ら選んだものとして静かに受け止めることができたのではないでしょうか。
はたして、八咫烏への悔恨を呟くまでにひとらしい心を得てしまった椿が、拐われてきた人間の少女や自分を人間と思い込まされ村に囚われている八咫烏の女の子にオギャれるでしょうか。
手段を尽くしてこれまで通りの信仰と生贄を差し出したとしても、もはやそれを受け取れる無慈悲な神はどこにも存在しないのではないでしょうか。
しかしがら、この令和の世においても、山神を信仰し、山神をみごもり、山神と共に生きることになってもその尊厳を欠くことのない少女、そしてその愛を山神が躊躇わず受け取ることのできる少女が一人だけ存在します。
他でもない志帆殿です。
これからの世界で倫理的に問題なく山神と添い遂げることができるのは、当初こそ非合意で生贄になりながらも椿を愛することを決意し、玉依姫という存在に殉じた彼女しかあり得ません。
となれば、山神システムを確実かつ潔癖に持続させるためには志帆殿のクローンを大量生産して順次投入し、山神信仰の永久機関を完成させるほかに道はないという結論に誰しも至ることでしょう。
つまり山内村では志帆殿ズが山神のご利益がついたFXなどで生活しつつ、神域ではザ・志帆殿が山神と暮らす。志帆殿のボディが滅びるごとに、クローン志帆殿が新たに村へと補充される。そうした在り方こそが、これからの山内村にふさわしいたった一つの正解であると考えられます。
一見突飛な話に聞こえますが、志帆殿クローン計画によって回収される伏線がこれまでの作品の中に複数存在するのです。それらを順次確認していきましょう。


①玉依姫の性質

志帆殿で溢れる村を想像した時、多くの人は異様な光景に倫理的抵抗感を感じることかと思います。しかし、それはあくまで人間社会における感覚です。彼女は生物学的には人であると共にその精神は玉依姫へと変容しており、その精神は他の玉依姫に伝播し継承されるという大きな人外的特徴があります。
つまり、玉依姫である志帆殿のクローンは、一人一人が意識を持つと同時に生贄となってからのパワフルな過去の記憶や椿への愛を十分に備えているのです。それは無知でもなければ無力でもない、オリジナルと完全に等しい責任能力と動機を持つ一人格と言えるでしょう。
クローンたちから一人残らずインフォームド・コンセントが取れるという非現実的な状況は、彼女たちが玉依姫でもなければ実現不可能です。
一見すると哀れなクローンが囚われている非道徳的な光景ですが、その少女たちが玉依姫であった場合においては、祖母といえども口を挟むことのできない本人たちの自由意志によって生じた状況だと断言することができるのです。
ここまできては、もはやクローン計画によって生じる倫理的問題の解消を念頭において玉依姫の設定が組まれていると言っても過言ではありません。
単なる設定上の符号だけでなく、山神に注がれる愛の全てを志帆殿が担うことができるという点から見ても、非常に納得のいく流れとなっています。


②志帆殿の性格

いかに玉依姫が同一の意思を持つとしても、必ずしもクローンの統率が取れるとは限りません。サヨのように山神に対して独占欲を抱くケースも存在し、それは玉依姫が山神を愛する存在である以上当然のことです。
玉依姫の山神に対する愛が真実であるからこそ、ただ村で暮らすよりは毎日を椿の側で過ごすことができるザ・玉依姫の座を巡って争いが起きることは想像に難くないでしょう。
しかしながら幸運というべきか、現在の山内が戴いている最後の玉依姫は志帆殿です。
志帆殿は作中において病的なまでに利他的な性格を何度も指摘されていました。しかしながら、本編を見る限りはそのポテンシャルが生かしきれたとは言い切れません。
だからこそ、志帆殿マークII以下その他が椿を離れがたいほど愛しながらも、結界を隔てて日々静かに遠くから椿を想うという、人間離れした姿を見せてくれる伏線だと思わざるを得ません。
そうした献身が単なる忍耐によるものであれば、決して山神は志帆殿に無理をさせたいとは思わないことでしょう。
しかし、それで誰かが幸せなら心から自分も幸せに感じるという志帆殿の特性を今更理解できていない山神ではないと思われます。
そして、志帆殿のような人間が最後の玉依姫でなければ、このクローン分業制は成り立たないと見るのが現実的です。
これを運命と言わずして何と言いましょうか。
なにより、志帆殿を志帆殿たらしめる異常な優しさが活きる状況として、これ以上のものは現状存在しないと思われます。
志帆殿の器を信じましょう。まだまだ入ります。


③……やはり、あなたはわたしとは違うのね

椿の心に深く食い込み、のちに玉依姫への不信の種となった言葉です。そんな山神の孤独は、志帆に愛し愛されたことで一応の救済を得ました。
しかしがら、更なる玉依姫と山神の歩み寄りの一歩を見出すため、ここで山神とクローンの類似性を確認しておきたく思います。
山神は前世の魂をそのままコピーして若がえった姿で玉依姫から生まれ、すこやかに成長し、玉依姫の死後に朽ちてはまた同じ若い姿で生まれ直します。
つまり山神の不死性はクローン技術によるものと非常に似通った在り方であるといえます。山神の継承において生贄を孕ませる存在が示されず、あくまで生贄を器に山神が再生成されるある種の単為生殖制度であることも、その印象を強化しています。
山神と同じく自我と記憶が継承される玉依姫のクローンともなれば、そのシンクロ率は100%を超えるでしょう。
現在のクローン技術では、脳が別のものになる以上山神のように意識の連続性を保つことができず、疑似的な不死性を得ることしかできません。
その技術的な問題を記憶を継承する玉依姫の特性によって難なく解決することができるのです。これはもうそういうことでしょう。
玉依姫がクローン技術によって不死性を得ることで、山神と玉依姫はお揃いの存在として永遠を過ごすことができ、真の伏線回収に至ると言えるのではないでしょうか。
医療の力であの日の二人に救いを。違うのねなんてもう言わせません。

④朔王の外界事業

楽園の烏より引用しますが、はじめ氏の二人の兄と姉のうち、次兄と姉に関しては自らの会社を持っていることが明かされています。しかし、長兄に対しては「父から継いだ事業」という他二人とはニュアンスの違う表現がわざわざなされています。
単に長男だから父親の事業を順当に後継した、と捉えることも可能ですが、何かしらのプロジェクトが朔王から長兄に世代を超えて継続されているという意味をあえて読み取るべきだと考えることは不可能ではないでしょう。
また、時流を読むことに長けた朔王にとっては、山神システムがいずれ時代と共に限界を迎えることが容易く予想されたと思われます。
そして、あの朔王が、自らの領分の外で自分のための世界である谷間が滅びに巻き込まれることをみすみす受け入れるのは考えづらいことです。
自恃をもって立つ朔王が、自分の目の黒いうちは山内の生殺与奪を他者に握らせないため、秘密裏に進行させていた玉依姫クローン計画があったことは想像に難くないでしょう。
そして朔王亡き今もその研究結果が破棄されることなく、来たるべき日のために、もしかすると面白いオモチャとして、長兄へと受け継がれていたと考えることは、現時点では決して不自然とは言えません。


⑤八咫烏シリーズの特色

八咫烏シリーズは巻ごとにジャンルが違うという特色をしばしば絶賛されています。しかしながら、既刊はどれも和風怪奇神道ファンタジーの域にとどまっており、SFというジャンルには未だ踏み込んでいません。
それを明確にするべく、八咫烏シリーズの出版社である文藝春秋のジャンル分類表記を参考に、八咫烏シリーズが踏襲済みのジャンルと未踏襲のジャンルを客観的に洗い出しておきましょう。
こちらの画像をご覧ください。

https://books.bunshun.jp/list/books

と思ったけどちょっとやりづらいかんじの分類表記でした。これに従うと、エッセイなどのそもそものジャンル違いなどを除けば既にコンプリート済みということになりますね。どうしよう。
何はともあれ、八咫烏シリーズはミステリを軸に恋愛・政治闘争・ホラー・学園もの・因習村純愛ホラー・戦記・その他諸々を縦横無尽に展開してきました。
SFを含めた全てのジャンルをコンプリートし、堂々完結する日が楽しみです。



こうして点と点がつながり、一つの絵が見えてきたことでしょう。こいぬ座の例もありますが、とりあえずの筋道が立ったことは事実です。
志帆殿クローン計画こそが、「この山は『志帆』と『椿』の代で終わり」という言を違えることなく、「たくさんの女達や、烏や、猿に、悪いことをしてしまった」という椿の悔恨を償うことができる唯一のすべであることは確実でしょう。
さらに踏み込んで予想するなら八咫烏シリーズ最終巻のタイトルは「永久の烏」。秘伝の志帆殿が永久に山内村と神域に継ぎ足され続け、アニメED「とこしえ」のタイトル回収も済ませ、志帆殿と椿の第三者なき永久の愛の世界がついに完全なものとなり、ついでに山内も永久の安寧を手に入れて弥栄!弥栄!弥栄!

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