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『“あ”って言って』と言われた小学生時代

こんにちは、鈴菜と申します。記事を開いてくださりありがとうございます。
この記事では、無口無表情だった小学生の自分について書きます。私は学校で、『一言も喋らない子』でした。気になる方はご一読いただけると幸いです。

一言も喋らない子

 具体的に私がどのような小学生であったかといいますと、本当に文字通りの無口無表情でした。学校の敷地内に入るとピタリと声が出なくなるんです。喉になにかストッパーがかかったかのように。
 学校内でのコミュニケーションは主に、頭の縦振りと横振りの『はい』と『いいえ』のみ。授業中当てられると蚊の鳴くような声で回答し、隣席のクラスメイトに通訳してもらっていました。そして顔は無表情で固定されていて、少しでも笑うと、『鈴菜ちゃんが笑った!』と言われていました。

 なぜ無口なのか、なぜ無表情だったのかは当時自分でも分かりませんでした。小学校に入学し、気がつけば私は『一言も喋らない子』になっていてそれが当たり前になり、それは変わらぬまま卒業しました。

中学生で知った『場面緘黙症』

 中学に入ると問題なく話せました。ふと小学生の自分を思い返し、ネットで見つけた言葉が『場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)』でした。

場面緘黙症とは、話す力はあるが学校など特定の場面で話せないことが長期間続く状態のことです。その言葉を知り、調べれば調べるほど小学生の自分の状態がそっくりそのまま書かれていました。

 診断を受けたわけではないので、本当に自分が場面緘黙症だったのかは分かりません。ただの極度の人見知りかもしれません。しかし、自分と同じような人が他にもいたというだけで、心の中にあった劣等感に似た重い気持ちが晴れたことを覚えています。

当時の自分は

 私のような無口無表情な小学生が他にいたかも分かりませんが、口を閉ざしていたその時何を思っていたかといいますと、特別何も考えていませんでした。
正確に言うと、当時の私は『喋らないこと』と『表情が変わらないこと』以外、自分を普通の小学生だと思っていました。
 喋れなかったからと言って毎日が辛くはなかったんです。学校敷地外でのコミュニティがあり友達はいましたし、学校は勉強をする場と割り切り、休み時間は読書や勝手に混じっても不自然でないドッヂボールや丸鬼で時間を潰していました。
 もちろん喋れない自分について悩むこともありました。授業中、当てられる前と音読の前は何度も唾液を飲み込み発音準備をし、帰りの会で今自分が何を言うべきかわからないけどそれを聞くこともできず人を待たせ苛立たせ泣いたこともあります。その度どうして自分はこうなのかと落ち込みました。しかし今思えば、周囲の教師やクラスメイトが、私が無口無表情であることを既に知っていて、鈴菜はそういう人間だと受け入れてくれていたことがありがたいことでした。そのため、無口な自分が浮いた存在に感じず、孤立を感じなかったから、過度に無口な自分を問題視して不調をきたさなかったのだと思っています。

最後に

最後まで読んでくださりありがとうございます。
私がこの記事を書いたのは、過去の自分について気づいたことを言葉にしたかったからです。時系列で、振り返りの気づきを交えてお話しました。

(場面緘黙症の方は500人に1人いるそうです。そういう人もいるんだと頭の片隅に置いていただけると嬉しいです。)

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