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雑書き 12/9~11

 どーも、どーも! さきぶにちゃん だなも!
 今日も今日とて雑書きやっていきます。設立宣言の画像を球磨川禊にしたのは他でもなく、彼が〈令和イキ告派〉の思想を体現したキャラクターだからです。設立宣言内でも引用しているくらいぼくは球磨川禊のことが好きなのですが、マァ、一旦この画像を見ていただきたい。


 これは人吉善吉がめだかちゃんと敵対するにあたり己のめだかちゃんへの恋心を自覚し、「人吉善吉に惚れてもらう」ことを目標に据えた直後のページである。生徒会選挙でめだかちゃんを打ち負かし、生徒会長になったらめだかちゃんに相応しい自分になれるはず──だなんて、くだらねーラブコメが始まったところである。
 『どんな理由があろうと、女を待たせる男は最低だ』──というひとことを以て、イキ告を正当化するつもりはない。そもそもこのセリフの背景には人吉善吉と黒神めだかの信頼関係や確執なんてものはもう説明不可能なほどに積み上がっていて、だからこのセリフは(括弧付けでこそあれ)一定の説得力を持つのであって、イキ告そのものの正当性にはなんら関与しない。
 しかしまぁ、何もかもを真正面から受け止めて真っ直ぐ理解しなければならない、などというスタンスもまた球磨川禊には似合わない。てか、この令和の世にめだかボックスが脳の引き出しの手前の方にあるのってヤバいかな。まあどうでもいいか、そんなこと。
 さて、確かにめだかボックスは現実ではないが、では現実が恋愛SLGなのであるのかという問いには、誰もが首を横に振るだろう。故にこそ、我々は恋心を自覚した瞬間に行動を起こした ほ う が よ い ということにならないだろうか。というかそもそも、我々は恋がしたいからするのか? 違う。だからマッチングアプリは醜悪なマクガフィン以上の何物にもなり得ないし、「港区女子」「サイゼリヤで喜ぶ彼女」らは却下されなければならない。
 というか、ぼくたちはいい加減ゆるゆると溺死させられかけているという事実に意識を向けなければならない。息苦しさを自覚せよ。シンギュラリティは遥か過去において既に起こっている──ぼくたちはもはや資本の奴隷である──のだから、あえてここで、ぼくたちは立ち上がって戦わなければならないのだ。
 ぼくがイキ告を肯定する理由はここにある。すべての制度から解放された、あらゆる力場の無限遠点で、わたしは恋をするだろう。──以下、あまりにも長い余白。

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