
バレンタインデー(情人節)を前に読むベトナムの恋愛物語と、曹操の短歌行:恋人たちは、一緒にチョコレートを食べて過ごそう!
芳花伝
無名氏、18~19世紀
ベトナムに、「芳花伝」(ほうかでん:Truyện Phương Hoa)または「芳花新伝」という、朝鮮の「春香伝」における男女の役割を反対にしたような近世の歌物語(叙事詩)がある。芳花(フオンホア)は、東洋文学の系譜では、中国北朝時代のモンゴル系中国人ムーラン(木蘭)に似た、大人の情熱的で聡明で勇敢な女性である。クライマックス・シーンで、年のころ三十~三十五歳ぐらいである点も同じである。「芳花伝」には、いくつか時代設定が異なるバージョンがあり、その一つは中国・三国時代の魏を舞台とする。そのあらすじは以下の通り:
魏の武帝・曹操の治世、陳田御史の娘・芳花(フオンホア)と張尚書(張大臣)の息子・景安(カインイエン)は互いに憎からず思いあう許婚者(いいなづけ)同士だった。しかし、曹中尉という名門の生まれの悪人(史実に基づく虚構「三国演義」における曹操の子で、不品行で知られた曹熊がモデルか)が芳花に横恋慕し、張尚書とふたりの息子(兄の景静・弟の景安)を反逆罪で訴追する詔勅を偽造したため、張家は夜逃げして石城(中国陝西省の呉堡石城か)に潜伏した。芳花は景安を思い続け、曹中尉を拒絶し、独身を貫く。月日は流れ、景静の子・小青(ティエウタイン)が科挙の受験のため石城の潜伏先から魏の都にひそかに戻ってくる。偶然小青に会った芳花は張家失踪の理由と窮状を知り、資金を提供しようとするが、それがきっかけで景安は潜伏先をつきとめられ、さらに強盗殺人の冤罪を着せられ捕縛されてしまう。芳花は景安の冤をはらすため、男装し、景安と名乗って科挙学校で受験勉強に励み、科挙に合格して高級官僚・進士となり、皇帝・曹操にまみえる機会を待つ。曹操の御前で芳花は曹中尉の悪事を暴き、景安を救出して、入れ替わる。その後、二人は末永く幸せに暮らしたという。ところで、曹操作の「短歌行」(たんかこう)という有名な歌がある。この詩は、偶然にも、「芳花伝」の大団円の入れ替わりのシーンで曹操が二人の新たな門出を祝して歌うのにふさわしい内容をもつ。覆面歌手ヨジスヘヴン(Yojisheaven)による「短歌行」の素晴らしい演奏が複数、ユーチューブに上げられている。「短歌行」は八文字から成る短詩十六首の連作である。うち、第二節の詩句は以下の通り:
短歌行 第二節
曹操、西暦200年ごろ
2-1
青青子衿 青青たる子が衿
進士のあかしである青々としたあなたのえり元
悠悠我心 悠悠たる我が心
それを見るわたしの心は悠々とみたされていく
2-2
但爲君故 但だ君が為ゆゑに
ああ、ただ、ただ、あなたのためにこそ
沈吟至今 沈吟して今に至る
わたしは苦労に苦労を重ね、今やっと再会できた
2-3
幼幼鹿鳴 幼幼と鹿は鳴き
恋の季節が来ると鹿たちは幼幼と鳴いて呼び合い
食野之苹 野の苹を食らふ
一緒に野りんごを食べて過ごすという
2-4
我有嘉賓 我に嘉賓あり
きょう、曹操は大切な賓客を宮殿に迎えた
鼓瑟吹笙 瑟を鼓し、笙を吹かむ
さあ、うちにかえり、存分に愛し合いたまえ
この第二節は、中国周代前期(西周時代、紀元前1045~771年ごろ)の無名の男女の恋歌を収めた「詩経」鄭風の「子衿」からの「本歌取り」(有名な古詩の句を自作に取り入れて作詩を行う方法)で詠まれている。第二節の前半2-1と2-2は、稀代の英雄・曹操が、宿願を成し遂げた芳花の気持ちを代弁する凱歌(勝利の歌)のようだ。英雄が女性になりきって恋の歌を歌うのは、「赤豹にのり、文猫をしたがへ」野山に君臨する妖女「山鬼」の恋心を歌った愛国詩人・屈原(紀元前300年ごろ)いらいの伝統である(屈原の真作かどうかについては異論がある。なお、「もののけ姫」(宮崎駿, 1997)のサンのモデルの一つはこのサンキ(山鬼)のようだ)。第二節の後半2-3と2-4は、曹操自身の、はれて夫婦(めおと)となった二人の新たな門出へのほぎ歌(祝福の歌)のようである。もちろん、偶然の一致であろう。

関雪が描く木蘭の憂いを秘めたりりしさは、曹操との謁見に臨む直前の芳花の覚悟を思わせる。
http://www.hakusasonso.jp/collection/works/post-7.html
幼幼鹿鳴 恋の季節が来ると鹿たちは幼幼と鳴いて呼び合い
食野之苹 一緒に野りんごを食べて過ごすという
ベトナム語でバレンタインデーを情人節(Tết Tình nhân)といいます。二月十四日、皆様には、大切な人と一緒に、野りんごやチョコレートを食べて、素敵な情人節をお過ごしになりますよう!