転身(川柳宮城野社寄稿)
人が私から聞きたい話があるとしたら、それはおそらく私の転身の話ではなかろうか。
長年勤めた役所を退職しミュージシャンとなった。背景として、まずは現職時代最も苦労した震災の復興業務から話を始める。
震災直後から漁業の復興は困難を極めた。まず被災して職場が無い。内陸にあった漁協本所や保健所を間借りしながらワカメの養殖指導から始めた。ワカメ養殖は資材が比較的少なくて済み、収穫までが短期間ですぐに現金収入になることから、漁業復興の引き金にはうってつけだった。流れ着いた浮き玉など使える物を使うとともに、漁船やワカメの種苗なども支援を受けた。ホヤ屋もホタテ屋もこのときばかりはワカメ、近年コウナゴが獲れないときもワカメ、困ったときのワカメ様。そして冗談のようだが水産庁職員の名はワカメ(若命)さんであった。
他県の派遣職員が大勢来たものの即戦力にはならず、業務量も多いので直後はプレーイングマネージャーとして仕事をした。国が震災年内中に強引に被害査定をすると言い出したために、知識もないのにCADで設計図を作ったりもした。その時ばかりはタイムリミットがあるために同僚を怒鳴りつけた。長い役人生活で怒鳴ったのはその時だけである。嗚呼反省。
さらに苦しかったのは防潮堤である。平均的な市町村の年間予算を上回る規模の事業量となり、人が何人いても足りず、職場はいつしか不夜城となった。
地権者がかなり昔に死亡していて相続人が1筆当たり50人、しかも海外にもということもあった。引き籠もって一切梨の礫という地権者もおり、地元警察署の了解を得て部下を表で待ち伏せさせ、おれのポケットマネーで買った手土産を玄関先に置かせた。しかしいつまでも当事者が外に現れることはなく、いつの間にか土産だけが無くなっていた。
毎日のように何時間も職場に来て粘るクレーマー地権者もおり、そんな人に限って役人崩れだったりして手口を熟知しているからたちが悪い。深夜まで粘って買取費を釣り上げようとするのだ。
高い防潮堤は地元から反対されることもしばしば。マスコミにも取り上げられる激烈な反対運動に晒される一方、多忙な部下にヒューマンエラーが続出、地元との合意のすれ違いが第二の辺野古と言われたこともあった。そのうち食欲も無くなり、死なないために食い物を口に突っ込むだけとなった。未だ仙台市民オンブズマンのHPに黒塗りの私の決裁文書があるのは不徳の致すところである。
派手な騒動は役所らしい曖昧な形で決着し、いつしか地権者たちも関心を失い、私は研究機関に異動した。そこで昔話が現実となる。
私が就職して間もない時、闊達な同い年の同僚と二人で酒を飲んだ。彼は私にこんな話をした。「おれは行政のトップになるから君は研究のトップになればいいよ」人生は面白い。そう、私は所長に、そして彼は大臣にまでなったのだ。
次に、役人と音楽との関係の話である。役人をしていて音楽がメリットとなったことはなく、逆に「音楽してる暇があったら補助を寄こせ」だの、「許可を寄こさないと楽器を壊すぞ」だのと散々であった。音楽に絡めた仕事といえば、合同庁舎のロビーで直売会を企画した際に部下と上司にお願いしてギターとマンドリンの合奏をしてもらったくらい、基本的には役人と音楽は相性が悪いと思う。在職中の音楽活動は大変で、コンクール後の記念撮影も断って最終の新幹線に飛び乗り、翌日の行事にギリギリ滑り込むこともあった。本気の音楽と役人は両立しない。
ただ、役人にもセンスやバランス感覚が不可欠である。かつて福島県三春町にいた叔母の葬儀を取り仕切って頂いた芥川賞作家玄侑宗久氏から頂いた言葉がある。
「通(つう)ならざるもまた通(つう)なり」
役人の使命とは社会秩序の維持であり、基本的にはルールの逸脱は許されない。しかし裁量という遊びがあり、実はこれが行政における大きな権限となっている。復興のテンポは市町と業界を走り回って調整し遅れを修正、遅滞なくリズミカルに進める。ルールを守りながら時にルールの解釈を変えて利害のある業界間や住民間のハーモニーを保つ。結果的に震災以後の復興のリズムとハーモニーは、自分の行政の守備範囲においては維持できたと思うのだ。
最後に、転身の顛末の話。再任用や天下りを断り、音楽をメインの仕事としつつ、長年自分を育ててくれた水産業界に対して月火の嘱託で恩返しをしていた。その内容は漁業者になりたい人の指導であり、海の仕事に夢を持って集まる若者とのやりとりは刺激的だった。長年培った水産業界の人脈は貴重で、若い時分からの気心の知れた漁師や組合職員が以前と変わらぬ対応をしてくれるのがありがたい。ただ音楽業界に転身した私とまだ水産業界に関わっている私と、別人と思っている人もいた。
退職に当たって考えたのは、組織は不断なる新陳代謝が必要だということだ。不易流行とはいうが、特に法令・前例主義で思考が硬直しがちな役所は「流行」の部分が弱く、社会や自然界の変化を察知し迅速な施策展開が必要だ。老兵はさっさと消え、若者が危機意識を持って新しい技術を学び社会に貢献するべきだ。ほとんどの退職者が再任用や天下りする現状を改め、若者を積極的に採用し育成するべきだと思う。退職の日、若い職員だけを所長室に呼び、エールを送るとともに、パワハラ撲滅など職場改善と、積み立てNISAなど若いうちからの資産形成を説いたが、ちょっと格好付け過ぎだったかも。だが退職間際に厳しい労働環境にあった船舶職員の待遇改善ができたことは大きな喜びである。
口うるさかった上司が部下になればやりにくくて仕方が無い。そんな先輩を見ていて引き際の美学と矜恃を持ちたかったのも事実。64才までは年金も出ず、さらに支給年齢が延びる方向にある。生活を考えれば権利を主張して再任用することになんら問題はない。だが伊能忠敬しかり、やりたいことをやらずに死ぬ訳にはいかず、そもそも自分で第二の人生を切り開けないなんて情けないじゃないか。
という訳で、とにもかくにもアコーディオン弾きにはなった。少しでもアコーディオンに関わるところに顔を出し、イベントと教室で小銭を稼ぎつつ保育園などで演奏して普及啓発に努めている。私のアコーディオンソロCDのタイトル「Abordage」とは、新撰組副長土方歳三が宮古湾海戦で行った船を接舷しての白兵戦のことである。アコーディオンはどこにでも持って行けて弾きながら聴衆に近づくことができる楽器だ。聞く人に肉薄して直に心を交わらせてこそ伝わるものが大切だと思っている。それに、遠くの敵をミサイルで叩くようなどっかの独裁者が嫌いだ。戦争は嫌いだが、せめて「Abordage」のように潔くあれ。
ちなみに、CD価格は1500円、自分では安いと思う(笑)。
最後に、若い女性に人気の星占い作家石井ゆかり氏から来石の折に頂いた言葉は「天晴れ」。音楽で税金を払うまでに至っていないが、自分の転身に微塵の迷いも不安もない。いつも心は快晴である。