【エッセイ】「楽するために苦労してたのに、いつまで経っても楽にならなかった」話

「楽するために苦労する」

これは学生時代の私のモットーだった。
たしか中学1年生の頃から、この考え方で生活していた。

学生の頃は、後から苦労しないためにいい高校、いい大学に入ろうと思って、勉強していた。
受験で苦労しないために定期試験を頑張って、定期試験で苦労しないために日々の勉強を頑張った。

正直、それなりに忙しい日々を送ってきたと思う。

学生時代は部活も勉強もどちらも捨てたくなかった。

中学時代、部活の後には週に数回クラブチームに通い、夜10時頃家に帰る日もあるような感じで、車の中で懐中電灯をつけて宿題をすることも多かった。

高校時代は、学校から家まで遠く、片道1時間半を毎日通っていた。
朝6時起きて、電車の中で勉強し、授業を受けて、休み時間に勉強し、部活して、帰りの電車で勉強し、夜10時頃家に着いて、風呂に入って、後は寝るだけ、というような日々だった。

結果、部活で成績を出しつつ、いい高校、いい大学に入った。

頑張れば、どこかで楽になると思っていた。大学に入れば…。

結果的に大学では、勉強も忙しく、ほぼ毎日部活して、主将になって、部活に支障を出さないために、バイトは週に数回部活の後の夜から深夜1時くらいまでやっていた。

楽するために苦労してたはずが、一向にそんなことにはならなかった。

私はわかった。

「楽」は手放すことだと。何かを捨てることだと。

楽になることは簡単だ。今やっていることは捨ててしまえばいい。

たぶんそれはいつでもできた。
でも私はそれをしなかった。

そこで気づいた。

私はいつの間にか、楽するために苦労しようなんて思わなくなっていて、どれも捨てたくなくて、楽になるために何か捨てるくらいなら、自分の容量を限界まで使って手に入れようとしていたことに。
自分はそういう人間だということに。

思い返せば、実家に帰ってやることがないとすごく時間がもったいなく感じてしまう。何もしなかった1日に後悔と罪悪感を感じてしまう。
(何もしない1日も必要な時間だとは思うが。)

「何もない時間」も大切にしたいが、それはあくまでいっときのオアシスで、メインを「楽」にはしようとしていない。

だからおそらく、「楽するために苦労する」を長い期間やり続けるような人は、「楽するために苦労」しているわけじゃないと思う。

いつまでも楽にはならなくて、でもその苦労の結果なにか成果を出せて、成果を出した結果さらに苦労することになって、でもそれを後悔はしてなくて、捨てたくないからまた頑張る。その繰り返し。

もし楽になりたいなら、必要なのは「苦労」ではなく「やめる」こと。

それをしたくなければ、頑張り続けるだけだ。




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