【エッセイ】「私たちには『予定がない』という予定が必要」な話
「今日は一日中家で過ごす」
これは、予定があるのか、ないのか。
もちろん人それぞれだろうが、私にとってこれは非常に重要な予定で、こういう時間こそ必要だ。
布団に入っているだけでもよし、映画を見るも、ドラマを見るも、漫画を見るも、お笑いを見るも、ぼーっとするも、よし。
精神と肉体の回復時間。
ただ問題は、誰かから「この日予定ある?」と聞かれた時だ。
まっすぐ、「家で一日中ゆっくりする」と答えていいものか。
人によっては、予定がないから、押せばいけると思われるかもしれない。
それに、友達や誰かと遊ぶと言う時間も楽しいのだ。
それはわかる。
だから、嘘をついて断るのも忍びない。
それに、家でゆっくりすると言うのもは自分次第だから、自分が決めればそれは予定がないということにもできる。
別に遊ぼうと思えば遊べるのだ。
それで「家でゆっくりする」予定を蹴って、遊びに出かけた経験が何度あったことか。
結局、楽しみはするんだけど。
疲労はまた蓄積されちゃったりはする。
だからやっぱり、「予定がない」予定は必要。