【エッセイ】「23歳で遺書を書いた話」

こんなタイトルで何事かと思う人もいるかもしれません。心配しないでください。
少なくともあと4、50年は生きるつもりですし、天寿を全うする予定です。

ただ、人生何が起こるかわかりません。

いつ死ぬかわからないし、まともでいられるかもわかりません。

アルツハイマーや植物状態、意識不明の重体などでは、自分の意思をしっかりと伝えることは困難です。

だからこれは、遺書というより、「もしものための意思証明書」みたいなものです。

なぜ私がこういうものを書いたかというと、 

もし私が死んでしまった、もしくは意思疎通ができなくなった場合に、私の家族や友人に、無為にお金と時間を使って欲しくないからです。
そのお金と時間を、自分たちのために使って欲しいからです。

さまざまな価値観があります。
人の考え方に否定もしませんし、とやかく言うつもりもありません。

ただ私としては、例えば、私がもう意識が取り戻すかもわからない状況になったとき、家族に治療費を出し続けて欲しくない、ということです。
私のために使うお金と労力で、美味しいものを食べてたり、旅行に行ったりして欲しいのです。
死ぬ人よりも今を生きる、これからを生きていく人のために使って欲しいのです。

そういう意思を書き記しました。

「生きたくない」というわけではなく、そういう状況下で、総合考慮した結果、そういう結論になるだけです。

遺書であれば法的に有効なため、私の意思は通るだろう、ということです。

ただ、自分の意思を、自分の頭が真っ当なうちに示しておこうというだけです。

それに、遺書は破棄することができるため、何度でも考えを変えて、その都度書き記すことができます。

きっとこれから何度も書き換えていくでしょう。

ただ、何が起こるかわからないので、23歳時点での自分の意思を明確にしようというだけのことです。

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