vol.3 コンテンツのその先
足立先生、フランケン先生、猫山先生、サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(58:40)は購入後に視聴可能。
その3
コンテンツ販売で食っていくためにはどうすればいいか?引き続き思うところを述べてゆきたい。
語るべき内容があなたにあるかどうか?人を変えるパワーがあなたにあるかどうか?が最初に問われていて、貴方はそれを豊富に持ち合わせているという前提で話を進める。
どれだけ凄い人物であっても、発信の世界に来た場合まずみんな等しく無名から始まる訳だ。勤め人やってるとすると匿名もセットであることだろう。とすると、匿名かつ無名でスタートする。
そこで心に刻んで欲しいことがある。
「匿名で無名の人間から物を買うやつは居ない」
ということだ。こんな当たり前の事をわざわざ言わないといけないのかと愕然としつつ、でも実際その勘違いは散見されるのだから、指摘しておかざるを得ない。なおこの指摘の一部は我が身にも確実に該当する。ブーメラン的趣なきにしもあらずで頭皮から汗が垂れてくるのを耐えつつ話を進める。
匿名で無名の人間は信用されない。
匿名で無名の人間は話を聴いてもらう時間すらもらえない。
匿名で無名の人間はお金を払ってもらえない。
びっくりするのは一生懸命コンテンツ作っているのだから「売れるのが当たり前」「なんで売れないんだ」「なんで読んでくれないんだ」など甚だしい了見違いに悩んでいる奴が居るということである。昔も今もしばしば見かけるがそんなことはありえない。匿名で無名の人間はゴミカスなんだということについてもっと自覚的になる必要がある。
であるからまずもって胸に留めおかねばならぬことは、匿名で無名の人間が作ったコンテンツ(あるいは実物の商品)が売れるというのは、そもそも矛盾なのだということ。しかもどでかい矛盾だ。
この矛盾をどうやって解消するのか??
ひとことで言えば信用の獲得となる。
だがほとんどの志望者はこの矛盾の解消に向き合わない。それを問題だと認識すらしていない。コンテンツ販売を生業にするうえで一番最初に死者が山と積み上がる関門だ。
逃げずに、足掻いて足掻いて戦い抜いた先に、矛盾の解消は存在するのだが、みんなこの戦いを避ける。
逃げ道の一つが転売である。具体的な商品がありかつそれらの商品相場が形成されている場合、転売業が成立する。
規格化された商品を安くに仕入れてきて相場どおりの価格で市場で売る。ゼロから信用を構築するというプロセスが必要ない。ゴミカスである自分と向き合うプロセスが存在しない。信用は、規格化された商品それ自体が担保になっているから、属人的な信用が無用である。
彼らの口癖もとい商哲学は、
「仕入れに利あり」
「マーケットイン」
なのだが、筆者思うに、この道(転売系)の行き着く先は必ず虚無主義である。
お前の代わりなんざいくらでもおるんやぞ、という無言の圧、存在の否定を、僅かずつながら仕事から受け取り続ける人生になって、人の心はそれに耐えられるつくりになっておらず、日常的に、何かしら自分を癒やしてくれる物が必要になる。それは言葉であったり酒であったり倒錯した変態性癖であったり家庭であったり。丑嶋くんがウサギ飼ってるのがまさに象徴的な話だ。
虚無主義を仕事にすると、他の何かに生きる意味を求めずにはおられなくなる。自分の存在を力強く肯定してくれる何物かあるいは誰かに依存したくなる。
(※おすすめは寺に行って坐禅を組むことだ。伝統宗教の力を借りると良い。或いは、スポーツとか芸能とか広く芸術家に分類される人のパトロンをやること。たまに陰謀論に生きがいを見出してしまう人が見られるがこれは推奨できない)
お金の主人になるつもりで転売資本を拡大して行ったのに、気がついたら自分はお金の奴隷になって首輪につながれていた、今更生き方を変えることもできない、などと、IQが高い人ほど自己認識が正確で、皮肉なことにその正確さ故に憂鬱になる。
虚無主義の痛みを自制心で我慢するのは、たぶん無理だろう。どこまで言っても生き甲斐探しから逃れる事は出来ない。
何が言いたいか?というと、コンテンツ業をやるんならまずは決死の覚悟で矛盾の解消に向き合ってほしい、ということだ。ゼロから信用を獲得する過程から逃げるべきではない。自分にしか作れないものを作り、それを顧客に提供して喜んでもらうほど愉快な生き方は無いのだから。
フォードも言うじゃんか。顧客の声を聴き、顧客が求める物を作ったとしたら、それは「もっと早い馬車」だった、とね。
作りたいものを作る。良いと思うものを作る。だから自動車ができる。
なお、プロダクトアウト型の仕事には虚無主義は無い。クオリティ追求の過程の中に、かなりな量の自己満足が存在していて、それらの細かい詰めを誠実に行う工程がマインドを癒やしてくれる。
顧客からの感謝や尊敬もまた人生の喜びであろう。仕事自体が喜びであれば、変態性癖も依存対象も必要としない、仕事で完結する良い生き方になる。コンテンツ業で生きていくというのは、苦労は多いし死体の山をかき分けて生き残らねばならないが、そこを突破するとけっこう良いよ。みんな言わないけど。
マーケットインや転売型の商業は、仕事それ自体に誰からも敬意を払われることがないし自己満足も無いがゆえに、癒やしのコストが別途発生する。分かっててやる必要がある。
つづく。
オーディオの紹介の体になってないけど、まあいいや。文章だけで伝わるものがきっとあるはず。
---------
クオリティ追求のため、今回から音声の調節や編集も外注せずワイの手作業でやるし、商品紹介文も自分で書くことにしますわ(外注紹介文やるとしても後半数本だけ)。最近たるんでました。絵についてもAIはもう使わない。これは既に始まってると思うけど、AIはクソって認識が、感覚の鋭い人間の中での共通認識になっていくものと思う。世はまさに格差社会、感覚や認知力が鈍い下位の人間がAI産出物を食わされて喜んでいて、上位の人間は本物だけを選んで摂取するって世界になるよ。
音声自分でも聴いてみると、ほんのちょっとの微差なんだろうけど、なんでか知らんが自分が音を触ったやつの方が聴き心地が良い。微差が大差。
1.ながらでダラダラ聴いてほしいっす。
2.二周目三周目の聴こえ方が、一周目とぜんぜん違うのが良い聴き方。
3.ながら聴きするための作業を増やす本末転倒がQOLアップを起こす
4.集中して真面目に聴くのは悪い聴き方である。
コンテンツ販売で食っていくためにはどうすればいいか?引き続き思うところを述べてゆきたい。
語るべき内容があなたにあるかどうか?人を変えるパワーがあなたにあるかどうか?が最初に問われていて、貴方はそれを豊富に持ち合わせているという前提で話を進める。
どれだけ凄い人物であっても、発信の世界に来た場合まずみんな等しく無名から始まる訳だ。勤め人やってるとすると匿名もセットであることだろう。とすると、匿名かつ無名でスタートする。
そこで心に刻んで欲しいことがある。
「匿名で無名の人間から物を買うやつは居ない」
ということだ。こんな当たり前の事をわざわざ言わないといけないのかと愕然としつつ、でも実際その勘違いは散見されるのだから、指摘しておかざるを得ない。なおこの指摘の一部は我が身にも確実に該当する。ブーメラン的趣なきにしもあらずで頭皮から汗が垂れてくるのを耐えつつ話を進める。
匿名で無名の人間は信用されない。
匿名で無名の人間は話を聴いてもらう時間すらもらえない。
匿名で無名の人間はお金を払ってもらえない。
びっくりするのは一生懸命コンテンツ作っているのだから「売れるのが当たり前」「なんで売れないんだ」「なんで読んでくれないんだ」など甚だしい了見違いに悩んでいる奴が居るということである。昔も今もしばしば見かけるがそんなことはありえない。匿名で無名の人間はゴミカスなんだということについてもっと自覚的になる必要がある。
であるからまずもって胸に留めおかねばならぬことは、匿名で無名の人間が作ったコンテンツ(あるいは実物の商品)が売れるというのは、そもそも矛盾なのだということ。しかもどでかい矛盾だ。
この矛盾をどうやって解消するのか??
ひとことで言えば信用の獲得となる。
だがほとんどの志望者はこの矛盾の解消に向き合わない。それを問題だと認識すらしていない。コンテンツ販売を生業にするうえで一番最初に死者が山と積み上がる関門だ。
逃げずに、足掻いて足掻いて戦い抜いた先に、矛盾の解消は存在するのだが、みんなこの戦いを避ける。
逃げ道の一つが転売である。具体的な商品がありかつそれらの商品相場が形成されている場合、転売業が成立する。
規格化された商品を安くに仕入れてきて相場どおりの価格で市場で売る。ゼロから信用を構築するというプロセスが必要ない。ゴミカスである自分と向き合うプロセスが存在しない。信用は、規格化された商品それ自体が担保になっているから、属人的な信用が無用である。
彼らの口癖もとい商哲学は、
「仕入れに利あり」
「マーケットイン」
なのだが、筆者思うに、この道(転売系)の行き着く先は必ず虚無主義である。
お前の代わりなんざいくらでもおるんやぞ、という無言の圧、存在の否定を、僅かずつながら仕事から受け取り続ける人生になって、人の心はそれに耐えられるつくりになっておらず、日常的に、何かしら自分を癒やしてくれる物が必要になる。それは言葉であったり酒であったり倒錯した変態性癖であったり家庭であったり。丑嶋くんがウサギ飼ってるのがまさに象徴的な話だ。
虚無主義を仕事にすると、他の何かに生きる意味を求めずにはおられなくなる。自分の存在を力強く肯定してくれる何物かあるいは誰かに依存したくなる。
(※おすすめは寺に行って坐禅を組むことだ。伝統宗教の力を借りると良い。或いは、スポーツとか芸能とか広く芸術家に分類される人のパトロンをやること。たまに陰謀論に生きがいを見出してしまう人が見られるがこれは推奨できない)
お金の主人になるつもりで転売資本を拡大して行ったのに、気がついたら自分はお金の奴隷になって首輪につながれていた、今更生き方を変えることもできない、などと、IQが高い人ほど自己認識が正確で、皮肉なことにその正確さ故に憂鬱になる。
虚無主義の痛みを自制心で我慢するのは、たぶん無理だろう。どこまで言っても生き甲斐探しから逃れる事は出来ない。
何が言いたいか?というと、コンテンツ業をやるんならまずは決死の覚悟で矛盾の解消に向き合ってほしい、ということだ。ゼロから信用を獲得する過程から逃げるべきではない。自分にしか作れないものを作り、それを顧客に提供して喜んでもらうほど愉快な生き方は無いのだから。
フォードも言うじゃんか。顧客の声を聴き、顧客が求める物を作ったとしたら、それは「もっと早い馬車」だった、とね。
作りたいものを作る。良いと思うものを作る。だから自動車ができる。
なお、プロダクトアウト型の仕事には虚無主義は無い。クオリティ追求の過程の中に、かなりな量の自己満足が存在していて、それらの細かい詰めを誠実に行う工程がマインドを癒やしてくれる。
顧客からの感謝や尊敬もまた人生の喜びであろう。仕事自体が喜びであれば、変態性癖も依存対象も必要としない、仕事で完結する良い生き方になる。コンテンツ業で生きていくというのは、苦労は多いし死体の山をかき分けて生き残らねばならないが、そこを突破するとけっこう良いよ。みんな言わないけど。
マーケットインや転売型の商業は、仕事それ自体に誰からも敬意を払われることがないし自己満足も無いがゆえに、癒やしのコストが別途発生する。分かっててやる必要がある。
つづく。
オーディオの紹介の体になってないけど、まあいいや。文章だけで伝わるものがきっとあるはず。
---------
クオリティ追求のため、今回から音声の調節や編集も外注せずワイの手作業でやるし、商品紹介文も自分で書くことにしますわ(外注紹介文やるとしても後半数本だけ)。最近たるんでました。絵についてもAIはもう使わない。これは既に始まってると思うけど、AIはクソって認識が、感覚の鋭い人間の中での共通認識になっていくものと思う。世はまさに格差社会、感覚や認知力が鈍い下位の人間がAI産出物を食わされて喜んでいて、上位の人間は本物だけを選んで摂取するって世界になるよ。
音声自分でも聴いてみると、ほんのちょっとの微差なんだろうけど、なんでか知らんが自分が音を触ったやつの方が聴き心地が良い。微差が大差。
1.ながらでダラダラ聴いてほしいっす。
2.二周目三周目の聴こえ方が、一周目とぜんぜん違うのが良い聴き方。
3.ながら聴きするための作業を増やす本末転倒がQOLアップを起こす
4.集中して真面目に聴くのは悪い聴き方である。
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