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vol.2 コンテンツのその先

足立先生、フランケン先生、猫山先生、サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(54:53)は購入後に視聴可能。

二本目の紹介文なのですが、書きたいことを書いてまいりたい。お題はnote革命と非モテ大覚醒。

オーディオ紹介は余儀であって、いちばん大事なこと、外しちゃいけないことは、コンテンツ作って売って食って行くには何が必要か?を、これを読んでいる貴方に文章のみをもって伝えることであってそれ以外は望まない。

たまにオーディオの内容にも触れる。

noteの起こした革命について語らなければならぬだろう。そしてnoteがその硬骨を保ってプラットフォームとして今なお続いているという幸運についても。

通常、その市場において独占的なプラットフォームというのは必ず堕落する宿命にあるんだが、noteはまだ腐敗の兆候は見せていない。いろんなプラットフォームの興亡盛衰を見てきたから驚嘆すべきことだと思っている。

我がコントロールの外のことなのでnoteを選んだ幸運(noteが衰微せず力強さを保てていること)を噛みしめるばかりである。

noteがあったこと。noteでやっていること。

これが「筆者がコンテンツ業で食えている理由」の8割を占めていると言っても過言ではあるまい。もし発信始めるタイミングでnoteが無かったとしたら、ワイはネット芸人などやらず、より正確に言えば採算が合わないからできず、予定調和の通りに不動産賃貸業を本業にしていただろうなと。

わたくしが不動産賃貸業で融資引いて拡大してゆく方向を止めて、地方移住して情報発信に専念する道を選び、これを読んでいる貴方が我が志を継いで不動産賃貸業を主として資本主義ゲームに取り組んでいるというのは、なかなか数奇な運命であると思わないかね?

そう、つまりは外部要因なのである。

noteの何が革命だったか?

そりゃあもう革命と呼ぶ他無いね。なぜなら、それ以前の時代にコンテンツ業でやっていこうとしたら実質情報商材屋一択だったからである。情報商材屋やりたくない種族の人間に、コンテンツ作りで食って行ける道を拓いてくれたという点で、noteの誕生はまぎれもなく革命だったと思う。

確かに、情報商材屋やらなくても、ブロガーになるとか作家になるとか他の方法はあるのかもしれないが、これらはピンハネ率が高すぎるとか他人の商材を売って広告費をちょろっと貰うだけであり、人の心を動かしたのに比した収入効率がかなり悪い。

昔ロックバンドがなんであんな金持ちになれるのか?と考えたことがあったが、ファンの直接課金を極端な中抜きを経ずに受け取っているからであり、その点において、ブロガーと作家は効率が悪いなあと、かねがね思っていた。もっと直接におひねりが届く仕掛けがあればな、と。

直接課金ということでいうと、一見、情報商材屋は効率が良いように思える。

だがその商哲学がまことに論外であって、その実は詐欺師、仕組みはネズミ講に他ならない。唾棄すべき奴らである。
(※推敲していて、しかし彼らが悪さしまくってくれるからワイのようなコンテンツ作りのみ、僅かだけ真面目で、他はカスみたいな総合的にカスの人間がコンテンツ作りで食えているのだから、むしろ、彼ら情報商材の人たちには感謝すべきなのだろうな)

note誕生以前のコンテンツ業で食って行くとは、つまり、その時勢いのある情報商材屋の膝下に真っ先に馳せ参じて、その走狗となるを誓い、歯の浮くようなお世辞を並べ、沓を嘗め、ネズミ講の中での最適な振る舞いをより高度に身につけることだ。

ゴマ擦ってピラミッドの少しでも上に組み込んでもらうことや、開祖や上位者のおこぼれを貰いやすい位置を占めること、それだけが重大事であり関心事である、と。

何を経験してきたのか、何を語れるか、受信者の生き方にどのように良い影響を与えられるか?人を変える力量が確かにあるのか?については、一顧だにされない。そんなことよりも、見せ方、売り方、煽り方、である。

身内でねちょねちょ褒め合って、しかもその実何も中身は無い、むしろ中身など邪魔だと、それっぽい雰囲気のみに終始する、くだらん奴らである。
(※しかし逆側からの考えもできる。中身何も無い人間がコンテンツ作りでメシを食って行く確立された方法がこのように存在していて、彼らは界隈に感謝し、界隈を愛しているのかもしれない。ワイがnoteに感謝しているように。その領域にまで難癖をつけに行く資格はワイにも無いだろう)

さて。

不肖この聖丁、考える事が好きな人間である。考えて、本を読んで、紙に考え事を書いて、また考えて、漸くまとまった考えの結論を紙に書いて、次の本を読む。また考える。考えるのに飽きたらゲームする。ゲームがアホらしくなってまた考えごとに戻る。

誰に頼まれた訳でもなく好きでやってきた。

オーディオの中でもお話している通りだが、ワイには10年ぐらいの考え続けた蓄積がある。大学生の時にまったく友達運に見放されて孤独だったから、思う存分に考えごとに耽ることが出来た。この点が、リスナーの皆様とは大きく違うはずだ。

将来こうなると予測して下積みしてたんじゃない。ただただひたすら根暗をやってたきて、ある日突然チャンスが来たから飛び乗ってこうなったというだけだ。

ゆえに、昨日今日コンテンツ業で食って行きたいと決意したていどのお前は、絶対に俺にはなれない、という事だ。きっと貴方には今から10年下積みする時間など無いことだろう。だから俺とは違う道、俺とは違うやり方を、貴方の手で創出するのが良い。そっちをおすすめする。


人間に対する興味。

過去に熱中した課題は何個かあった。

サラリーマンやらずに資本主義の仕組みの中で上手いこと生きていく方法。

女に慕われるとか良好な関係を築くにはどうすればいいか、とか。

過去にさんざん考えてきたからなあ。任せてほしい。

現状、今までの考えの蓄積を発信するだけで食えている。ありがたいことだ。

確かに、不動産家賃で生活費を稼いで、あとは日がな考えごとをする人生も良いものに違いない。

今の暮らしは、考えごをまとめて、なるべく丁寧に清書し、コンテンツ化して販売、生活するというものなのだから、こちらの方がより直線的であり本質的だと思う。

不動産でワンステップ迂回しなくても良いのがポイントだ。

迂回路があると甘えが生じるからだ。発信の仕事もまた、それで飯食うプロをやる方が「俺は事業で稼いで発信で稼いでないから本当のことが言える立場なんだ」とうそぶいてる連中よりも、圧倒的に上手くなるに決まってる。

あなたの参考になったかは知らんけど真実はかくのごとしである。がっかりしただろうか。もちろん俺は慰めない。

次はコンテンツ作りにおけるクオリティ追求の考え方について書くつもりなのだぜ。ぜってえ見てくれ。


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クオリティ追求のため、今回から音声の調節や編集も外注せずワイの手作業でやるし、商品紹介文も自分で書くことにしますわ(外注紹介文やるとしても後半数本だけ)。最近たるんでました。絵についてもAIはもう使わない。これは既に始まってると思うけど、AIはクソって認識が、感覚の鋭い人間の中での共通認識になっていくものと思う。世はまさに格差社会、感覚や認知力が鈍い下位の人間がAI産出物を食わされて喜んでいて、上位の人間は本物だけを選んで摂取するって世界になるよ。

音声自分でも聴いてみると、ほんのちょっとの微差なんだろうけど、なんでか知らんが自分が音を触ったやつの方が聴き心地が良い。微差が大差。


1.ながらでダラダラ聴いてほしいっす。
2.二周目三周目の聴こえ方が、一周目とぜんぜん違うのが良い聴き方。
3.ながら聴きするための作業を増やす本末転倒がQOLアップを起こす
4.集中して真面目に聴くのは悪い聴き方である。

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