vol.4 コンテンツのその先
足立先生、フランケン先生、猫山先生、サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(59:53)は購入後に視聴可能。
その4
信用の獲得。
一定期間、超絶丁寧に作った「商品」を、無料でばら撒き続ける必要がある。
大事なのは、
・役に立つ
・クオリティ
である。
前者については、誰にとって?という問いともセットであるし、人生における転機(真剣勝負の瞬間)をネタにすると良いと言う鉄則があるが、こっちに行くと長くなるのでこれはまた別で語ろう。
クオリティについて。
まず考えねばならないのは、適当に作った物は売れない、ということである。
無名で匿名の人間が適当に作った物なんか売れるはずが無い。
ざっと作った物(電子ゴミ)は、無料であっても貰ってもらえない。読んでもらえないし聴いてもらえない。そんなゴミに費やす時間なんか無い。AIで作った文章もそうだ。最初は物珍しさで読みはするけどすぐに「AI臭」を感じて「キモッ」となって読まなくなる。AI文章に価値なんか無い。みんな忙しいんだ。
(※ただしモノの分かる人間に限る。モノの分からない下位の人間はAIの書いた文章を読んで、すごい!とはしゃいでいる、なぜなら読んでないからである)
まずこの現象を当然だと認識せねばならない。
次に、自分なりに頑張って作った物であっても売れない、ということ。読まれない聴かれない視られない。時間を割いてもらえない。
そして次。丁寧さにこだわって頑張って作った物ならどうなのか?というと、これもまた売れない。鳴かず飛ばず。
答えを言うと、狂気じみた完璧な仕上げでやっと売れる、ということである。キーワードは狂気である。狂気が宿ると売れる。
『狂気じみた仕上げ×役に立つ×無料』
で、やっとファンがつき始める。
「こいつは誠実で丁寧な仕事をするやつだ。しかもその内容は俺の役に立つ」
と認識してもらってやっと、受け手は新規の『取引口座』を開設してくれて、発信者と受け手との間で無料の取引が始まる。それでもまだお金出してくれるかどうか?というと心もとない。
クオリティに関して、顧客の見る目はとにかく厳しいってことを覚悟するべきである。なぜなら人々はいつも狂気じみた品質に接して生きているからだ。
たとえばクルマ。どんなボロい軽自動車であっても日本車は完璧な品質コントロールで提供される。クルマを汚したり散らかしているのはいつも自分であって、メーカーが設計や製造に関与している部分について言えば、狂気じみて完璧で、文句のつけどころが無い。
挙げればキリが無いことだが、パソコンとかスマホとか、日常で接する商品たちはみな洗練されていて完璧である。牛丼屋で牛丼弁当買っても全てが美味い。
たまに10人分とか牛丼弁当買って、箸を入れ忘れられた時などはブチギレそうになったが、これも考えてみたらミスしたのは不注意なバイトくんなのであって、本社部門が担っている設計段階に限定して言えば狂気じみて完璧である。
狂気じみて完璧でないと売れない。狂気じみて完璧であって初めて信用を得られる。
これが「矛盾の解消の仕方」である。
一点だけ、クオリティを高める方法について具体的なテクニックを述べる。断っておくがクオリティ追求については9割が精神論の支配領域であって、自分が買い物をする側である時に提供者の側の狂気をどれだけリアルに想像できるかなど、ふだんの心がけの蓄積が左右する。生き方の問題が大なのだ。
さて。
例え話。
ワイは祖業としてボロ家を修繕するリフォームをやっているのだが、美しい仕上げに必要なモノは、道具、材料、手順である。
丸鋸でバーっと切った箇所とか、インパクトでドルルッと打ち込んだ箇所とかを、見えないように隠すことが、最低限度の仕上げである。化粧材とか見切り材と言われるものを使う。
(※一泊7万とかの高級ホテルに泊まると、壁紙や柱など取り合いや模様合わせが寸分の狂いなく収まっていて、つまり化粧材無しですでに完成していて、それはもはや人間業じゃない、神技の域であって、こういう選ばれた人間だけが演出する狂気もある、真の狂気を知りたければリッツカールトンとか泊まると良い)
上手くなるためにはまず第一に、ちゃんと化粧材を使うことである。何の話だか迷わないように付け加えるが、これは文章書きとか音声作りなどコンテンツ制作全般についての寓話であることにご留意頂きたい。リフォームテクニックの話をしているのではないぞ。
次。化粧材を取り付ける専用の道具があって、フィニッシュネイラとかコーキングベラだとか種類は多岐にわたるが、そういう専用工具を揃えておくこと。
(※素人DIYの場合、この辺の仕上げは真っ先に省かれる工程である。適当でも売れる。これは不動産賃貸業が「転売」の要素から成っていて、ボロ戸建て賃貸業が、安く仕入れて「相場」よりも安く賃貸物件を提供するビジネスモデルであることが大きく関係している)
そして手順。化粧材を買ってきて、適切な大きさにカットし、貼り付ける。ビフォーアフターで見るとこれがあのオンボロだったのか!と見違える出来になる。
適当な人は、化粧材使わないし、化粧材を取り付ける工具を持ってないし、化粧に費やす手数を惜しいと考える。
確かにビジネスの現実を言うならば、化粧仕上げを省けばその手間を用いて6畳間がもう一つリフォームできてしまうから、化粧はやらない、というビジネスモデルもまた成り立ちはする。
しかしこの考え方を、コンテンツビジネスでやっちゃいかん、ということなのだ。コンテンツ業は「物の分かる人」に手料理を召し上がっていただく商売である。一級品以外はゴミなのだから、量で圧倒する考え方とは相容れない。
物の分かる人間は忙しく、ゴミを食ってる時間なんか無い。
もう一度言うが、仕上げが杜撰な人は、材料、道具、手数を惜しむ。
女が包丁研ぎがド下手な理由は(これはメスみたいな男にも顕著!)、砥石の番目のラインナップを揃えないからである。彼らは安物の中砥石でちょっと研いで「切れない」とか言っている。
文章書きでも同じことで、文章が下手な人は推敲しない。一回書きでバーッと書き散らかした文章を食わせようとしてくる。ラジオもそう。売れない人のラジオは、仕上げるという意識無く、適当に喋っている。それを食わされた側はレイプされたような不快な気持ちになり、もう二度と聴かない。
上手い包丁研ぎとは何か?
道具の種類と手数のみからなると思う。腕の良し悪しじゃなく。
400番の荒砥石から初めて、
次に1000番の中砥石、
2000番の中仕上げ砥石、
5000番の仕上げ砥石でピカピカになる。
鋼の包丁だと5000番までやれば肉も魚も野菜もスパァと気持ちよく切れるようになる。
とにかく砥石の種類をふんだんに使うこと、その手順を惜しまないことがコツだ。
目的に応じた専用の道具があって、専用の道具を手順どおり使うだけで、たいへん良く仕上がる。
なお、狂気のレベルになると、上仕上げ砥石の8000番、超仕上げ砥石の12000番とか、更には鏡面仕上げ専用の30000番なんていう砥石まである。30000番の砥石とか触ってみるとガラスみたいにツルッツルのただの超平滑なセラミックの板でしかない。およそ研磨を目的にしたものだなんて想像だにできない代物である。
これは一体なんのたとえか?というと、コンテンツ作りを舐めてる人は、1000番の中砥石をちょろっと使って終わり、みたいな女の包丁研ぎをやっているということだ。作り方の姿勢がぜんぶ「やっつけ」なのである。
バーっと書いて、推敲しない。推敲したとしても推敲で文章量が増えると言う人もまた文章が下手で、なぜなら、クオリティとはいかにして削るか?こそに真髄があるし、削るために粗稿で多めに書くのであって、削除するのがもったいないから削らず大盛りで食わせとけという考えは物作りでは厳禁なのである。音声にしても下手な人は喋ることを決めずにノリと勢いで喋っている。だから聴くに耐えないし読むに耐えない。
400番で粗稿。
1000番で二回目の粗稿。
2000番で章を入れ替え誤字脱字を整え、削り始める。
5000番で音韻に合う字句になるよう整え、不要な章段をバッサリ切る。
などなど。
これから世に出ようというならば、狂気の域に進まねばならない。文章書きで言う、8000番仕上げ、12000番の仕上げも躊躇わずやるべきだ。漢字、ひらがな、カタカナ、句読点、目にうるさからぬことにまで気を配る。
たとえばPCで書いたものをスマホ画面で添削すると思わぬ文章のアラや音韻のリズムの破綻が見えたりする。紙に印刷して赤ペンで修正するのも良いだろう。夜書いた文章を朝読み直すとあまりに下手くそすぎて自分の才能の無さに絶望することもある。その繰り返しで仕上げをしてゆくのである。
そうやってシコシコシコシコ、書いては消し、消しては書き、光沢が出るまで自分の文章を磨き続ける。これ以上突き詰められないところまでやる。「矛盾の解消」とはそういうことだし「世に出る」とはそういうことなのだ。
繰り返しになるが、才能の問題ではない。
それ専用の道具を使うことと、手数を惜しまないこと、である。
それでやっと新規口座を開けてくれる人が現れる。
---------
クオリティ追求のため、今回から音声の調節や編集も外注せずワイの手作業でやるし、商品紹介文も自分で書くことにしますわ(外注紹介文やるとしても後半数本だけ)。最近たるんでました。絵についてもAIはもう使わない。これは既に始まってると思うけど、AIはクソって認識が、感覚の鋭い人間の中での共通認識になっていくものと思う。世はまさに格差社会、感覚や認知力が鈍い下位の人間がAI産出物を食わされて喜んでいて、上位の人間は本物だけを選んで摂取するって世界になるよ。
音声自分でも聴いてみると、ほんのちょっとの微差なんだろうけど、なんでか知らんが自分が音を触ったやつの方が聴き心地が良い。微差が大差。
1.ながらでダラダラ聴いてほしいっす。
2.二周目三周目の聴こえ方が、一周目とぜんぜん違うのが良い聴き方。
3.ながら聴きするための作業を増やす本末転倒がQOLアップを起こす
4.集中して真面目に聴くのは悪い聴き方であ
信用の獲得。
一定期間、超絶丁寧に作った「商品」を、無料でばら撒き続ける必要がある。
大事なのは、
・役に立つ
・クオリティ
である。
前者については、誰にとって?という問いともセットであるし、人生における転機(真剣勝負の瞬間)をネタにすると良いと言う鉄則があるが、こっちに行くと長くなるのでこれはまた別で語ろう。
クオリティについて。
まず考えねばならないのは、適当に作った物は売れない、ということである。
無名で匿名の人間が適当に作った物なんか売れるはずが無い。
ざっと作った物(電子ゴミ)は、無料であっても貰ってもらえない。読んでもらえないし聴いてもらえない。そんなゴミに費やす時間なんか無い。AIで作った文章もそうだ。最初は物珍しさで読みはするけどすぐに「AI臭」を感じて「キモッ」となって読まなくなる。AI文章に価値なんか無い。みんな忙しいんだ。
(※ただしモノの分かる人間に限る。モノの分からない下位の人間はAIの書いた文章を読んで、すごい!とはしゃいでいる、なぜなら読んでないからである)
まずこの現象を当然だと認識せねばならない。
次に、自分なりに頑張って作った物であっても売れない、ということ。読まれない聴かれない視られない。時間を割いてもらえない。
そして次。丁寧さにこだわって頑張って作った物ならどうなのか?というと、これもまた売れない。鳴かず飛ばず。
答えを言うと、狂気じみた完璧な仕上げでやっと売れる、ということである。キーワードは狂気である。狂気が宿ると売れる。
『狂気じみた仕上げ×役に立つ×無料』
で、やっとファンがつき始める。
「こいつは誠実で丁寧な仕事をするやつだ。しかもその内容は俺の役に立つ」
と認識してもらってやっと、受け手は新規の『取引口座』を開設してくれて、発信者と受け手との間で無料の取引が始まる。それでもまだお金出してくれるかどうか?というと心もとない。
クオリティに関して、顧客の見る目はとにかく厳しいってことを覚悟するべきである。なぜなら人々はいつも狂気じみた品質に接して生きているからだ。
たとえばクルマ。どんなボロい軽自動車であっても日本車は完璧な品質コントロールで提供される。クルマを汚したり散らかしているのはいつも自分であって、メーカーが設計や製造に関与している部分について言えば、狂気じみて完璧で、文句のつけどころが無い。
挙げればキリが無いことだが、パソコンとかスマホとか、日常で接する商品たちはみな洗練されていて完璧である。牛丼屋で牛丼弁当買っても全てが美味い。
たまに10人分とか牛丼弁当買って、箸を入れ忘れられた時などはブチギレそうになったが、これも考えてみたらミスしたのは不注意なバイトくんなのであって、本社部門が担っている設計段階に限定して言えば狂気じみて完璧である。
狂気じみて完璧でないと売れない。狂気じみて完璧であって初めて信用を得られる。
これが「矛盾の解消の仕方」である。
一点だけ、クオリティを高める方法について具体的なテクニックを述べる。断っておくがクオリティ追求については9割が精神論の支配領域であって、自分が買い物をする側である時に提供者の側の狂気をどれだけリアルに想像できるかなど、ふだんの心がけの蓄積が左右する。生き方の問題が大なのだ。
さて。
例え話。
ワイは祖業としてボロ家を修繕するリフォームをやっているのだが、美しい仕上げに必要なモノは、道具、材料、手順である。
丸鋸でバーっと切った箇所とか、インパクトでドルルッと打ち込んだ箇所とかを、見えないように隠すことが、最低限度の仕上げである。化粧材とか見切り材と言われるものを使う。
(※一泊7万とかの高級ホテルに泊まると、壁紙や柱など取り合いや模様合わせが寸分の狂いなく収まっていて、つまり化粧材無しですでに完成していて、それはもはや人間業じゃない、神技の域であって、こういう選ばれた人間だけが演出する狂気もある、真の狂気を知りたければリッツカールトンとか泊まると良い)
上手くなるためにはまず第一に、ちゃんと化粧材を使うことである。何の話だか迷わないように付け加えるが、これは文章書きとか音声作りなどコンテンツ制作全般についての寓話であることにご留意頂きたい。リフォームテクニックの話をしているのではないぞ。
次。化粧材を取り付ける専用の道具があって、フィニッシュネイラとかコーキングベラだとか種類は多岐にわたるが、そういう専用工具を揃えておくこと。
(※素人DIYの場合、この辺の仕上げは真っ先に省かれる工程である。適当でも売れる。これは不動産賃貸業が「転売」の要素から成っていて、ボロ戸建て賃貸業が、安く仕入れて「相場」よりも安く賃貸物件を提供するビジネスモデルであることが大きく関係している)
そして手順。化粧材を買ってきて、適切な大きさにカットし、貼り付ける。ビフォーアフターで見るとこれがあのオンボロだったのか!と見違える出来になる。
適当な人は、化粧材使わないし、化粧材を取り付ける工具を持ってないし、化粧に費やす手数を惜しいと考える。
確かにビジネスの現実を言うならば、化粧仕上げを省けばその手間を用いて6畳間がもう一つリフォームできてしまうから、化粧はやらない、というビジネスモデルもまた成り立ちはする。
しかしこの考え方を、コンテンツビジネスでやっちゃいかん、ということなのだ。コンテンツ業は「物の分かる人」に手料理を召し上がっていただく商売である。一級品以外はゴミなのだから、量で圧倒する考え方とは相容れない。
物の分かる人間は忙しく、ゴミを食ってる時間なんか無い。
もう一度言うが、仕上げが杜撰な人は、材料、道具、手数を惜しむ。
女が包丁研ぎがド下手な理由は(これはメスみたいな男にも顕著!)、砥石の番目のラインナップを揃えないからである。彼らは安物の中砥石でちょっと研いで「切れない」とか言っている。
文章書きでも同じことで、文章が下手な人は推敲しない。一回書きでバーッと書き散らかした文章を食わせようとしてくる。ラジオもそう。売れない人のラジオは、仕上げるという意識無く、適当に喋っている。それを食わされた側はレイプされたような不快な気持ちになり、もう二度と聴かない。
上手い包丁研ぎとは何か?
道具の種類と手数のみからなると思う。腕の良し悪しじゃなく。
400番の荒砥石から初めて、
次に1000番の中砥石、
2000番の中仕上げ砥石、
5000番の仕上げ砥石でピカピカになる。
鋼の包丁だと5000番までやれば肉も魚も野菜もスパァと気持ちよく切れるようになる。
とにかく砥石の種類をふんだんに使うこと、その手順を惜しまないことがコツだ。
目的に応じた専用の道具があって、専用の道具を手順どおり使うだけで、たいへん良く仕上がる。
なお、狂気のレベルになると、上仕上げ砥石の8000番、超仕上げ砥石の12000番とか、更には鏡面仕上げ専用の30000番なんていう砥石まである。30000番の砥石とか触ってみるとガラスみたいにツルッツルのただの超平滑なセラミックの板でしかない。およそ研磨を目的にしたものだなんて想像だにできない代物である。
これは一体なんのたとえか?というと、コンテンツ作りを舐めてる人は、1000番の中砥石をちょろっと使って終わり、みたいな女の包丁研ぎをやっているということだ。作り方の姿勢がぜんぶ「やっつけ」なのである。
バーっと書いて、推敲しない。推敲したとしても推敲で文章量が増えると言う人もまた文章が下手で、なぜなら、クオリティとはいかにして削るか?こそに真髄があるし、削るために粗稿で多めに書くのであって、削除するのがもったいないから削らず大盛りで食わせとけという考えは物作りでは厳禁なのである。音声にしても下手な人は喋ることを決めずにノリと勢いで喋っている。だから聴くに耐えないし読むに耐えない。
400番で粗稿。
1000番で二回目の粗稿。
2000番で章を入れ替え誤字脱字を整え、削り始める。
5000番で音韻に合う字句になるよう整え、不要な章段をバッサリ切る。
などなど。
これから世に出ようというならば、狂気の域に進まねばならない。文章書きで言う、8000番仕上げ、12000番の仕上げも躊躇わずやるべきだ。漢字、ひらがな、カタカナ、句読点、目にうるさからぬことにまで気を配る。
たとえばPCで書いたものをスマホ画面で添削すると思わぬ文章のアラや音韻のリズムの破綻が見えたりする。紙に印刷して赤ペンで修正するのも良いだろう。夜書いた文章を朝読み直すとあまりに下手くそすぎて自分の才能の無さに絶望することもある。その繰り返しで仕上げをしてゆくのである。
そうやってシコシコシコシコ、書いては消し、消しては書き、光沢が出るまで自分の文章を磨き続ける。これ以上突き詰められないところまでやる。「矛盾の解消」とはそういうことだし「世に出る」とはそういうことなのだ。
繰り返しになるが、才能の問題ではない。
それ専用の道具を使うことと、手数を惜しまないこと、である。
それでやっと新規口座を開けてくれる人が現れる。
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クオリティ追求のため、今回から音声の調節や編集も外注せずワイの手作業でやるし、商品紹介文も自分で書くことにしますわ(外注紹介文やるとしても後半数本だけ)。最近たるんでました。絵についてもAIはもう使わない。これは既に始まってると思うけど、AIはクソって認識が、感覚の鋭い人間の中での共通認識になっていくものと思う。世はまさに格差社会、感覚や認知力が鈍い下位の人間がAI産出物を食わされて喜んでいて、上位の人間は本物だけを選んで摂取するって世界になるよ。
音声自分でも聴いてみると、ほんのちょっとの微差なんだろうけど、なんでか知らんが自分が音を触ったやつの方が聴き心地が良い。微差が大差。
1.ながらでダラダラ聴いてほしいっす。
2.二周目三周目の聴こえ方が、一周目とぜんぜん違うのが良い聴き方。
3.ながら聴きするための作業を増やす本末転倒がQOLアップを起こす
4.集中して真面目に聴くのは悪い聴き方であ
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