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vol.3 高学歴有名銀行勤務のオロゴンさんが東京で力尽き、不動産賃貸業で人生を再生した話

オロゴンさん サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(59:27)は購入後に視聴可能。

第三話(全六話)

エリート高給勤め人。そしてその筆頭であった「銀行員」という職業。

かつては多くの人が憧れ、望んだこの生き方に疑問符が付くきっかけとして、2013年夏のドラマ『半沢直樹』は外せないだろう。

それまであまりオモテに出てこなかった「銀行」という会社組織の内側。

そしてそこで働く者達の一部を切り取って見せたあのドラマは、あくまでフィクションとはいえ、少なくない影響を世間にもたらした。



半沢直樹との関連はさておき、かつては大学生の就活志望ランキングでトップを総なめにしていたメガバンクは、年々人気を落としていき、今やトップ30に入れるかどうか、というほどに凋落した。

しかしこれは、メガバンクが業績が悪いとか、待遇が下がっているから、ということではない。

若者達が銀行という組織の異常性に気が付き、そこで人生の時間を過ごしたくないと思うからこそこのような結果となっているのである。

しかしながら相変わらず、銀行や証券といった金融系の企業の平均年収は高く、その輝きに誘われて志望する者もまた多い。



本作ではまず学生や就活生に向けて

「その輝きに手を伸ばすのは、考え直せ」と。

そして既に今、銀行に勤務して疲弊している人々へもまた

「人生を見つめ直せ」という示唆が、10年にわたって味わい尽くした先輩であるオロゴン氏からなされる。



ではなぜ、銀行という職場は歪な環境になってしまうのだろうか。



それは元来、銀行という企業は儲かるようにできているからである。



お金を貸して、金利をもらう。

いわばお金のレンタル業。

これは儲かる要素に溢れている。

お金という、腐らない上に誰もが欲しがるものを貸し出して、金利を得る。

リスクと言えば、貸したお金が回収できないことであるが、そもそも危ない先には貸さなければ良いだけである。

もしくは、返せなかった時に取り上げる土地などの担保を差し出させればリスクヘッジは十分にできる。

これが儲からないはずはない。



カネは、殖えることそれ自体を目的にして殖えるという。



この摂理に上手く噛み、収益を得られる。

これが銀行という商売なのだ。

このように優れたビジネスモデルで儲かる事業であるがゆえに、各メガバンクは数万人単位で人を雇用することができ、その上、高い水準の待遇も提供できる。

つまりそれだけの強靭さと、余裕がある。

そのような背景もあり、銀行員という職業は誰もが羨む高給勤め人の筆頭となった。



そしてそのような組織に押し込められた多くの人間達はどうなったのか。

人間は、いかに万物の霊長と言われようとも結局は動物である。

そしてそれが集団となれはやはり動物の「群れ」となる。

「群れ」にはヒエラルキーが存在し、序列を決めて秩序を作る。

群れのメンバー達は、この群れの順位を争っているのだが、このとき、健全な群れと比して銀行という群れが異質なのは、能力主義ではないところであろう。

すなわち、仕事の成果や内容で評価されず年功序列、権謀術数渦巻く人治主義の傾向が殊更に強いということである。

なぜこのように動物の群れ本来のような健全性が失われてしまうのかと言えばーー

それはやはり、根源的に銀行という商売が儲かる仕組みになっていて、その実態がヒマであるということであろう。

いやいや、銀行員は毎日遅くまで残業していて大変なんだぞ!という反論が聞こえてくると思う。

しかしながら冷静に鑑みれば、その忙しいはずの仕事は、実は本質的には必要でない作業ではないだろうか。



有体に言えば、本来は不要な仕事をあえて作り出し、ヒイコラ言いながら処理しているのである。

あたかも、穴を掘って埋めることを繰り返すかのように。



「カネを貸して、金利を回収する」



という単純な仕事に、実は人手はそこまでかからない。

もとい、算盤と紙で管理していた時代であれば頭数は必要であっただろうが、デジタル化が進んだ平成中期からは、かつてのように人員は必要なくなった。

かといって厳しい規制により人減らし解雇も容易にできず、そして遊ばせておくわけにもいかないので、穴を掘って埋める仕事を行員に課した。

そして気が緩まないように大声で叱咤し監督する必要が出てきたのだ。



それはまさに、人間牧場と言えるのではないか。



給料というエサを与えるために、本来は必要でない仕事を作り出し、やらせる。

牧場の管理者にはムチを打たせ、恐怖とストレスで脱走や反逆をしないよう調教する。

そうして銀行の外では生きていけなくなった、家畜だらけになった行員を数多抱えてもーー問題なく動き続けるそのビジネスモデルはやはり完成度が高く、強靭としかいいようがない。



さてこのような厳しい調教に、なぜ行員達は抗わないのかと疑問に感じた読者もいるかと思う。

その実態はやはり、そこに居た者にしかわからない。

そして本作はその内側を熟知して生還したオロゴン氏の生の音声を記録した。

銀行という会社組織は、人間の家畜化を極限まで煮詰めた組織であると言っても過言ではない。



類似の職種に、証券会社の営業マンがあるが、銀行員とは似て非なるものである。

というのも、証券会社というものはその本質が手数料を稼ぐことであるからだ。

手数料を発生させるためには顧客に株を売買させる回数と金額を増やさせなくてはならない。

生み出した金融商品をプレゼンして、買ってもらわなければならない。

その成果は数字で表される。

そのため誤魔化しが効かず、目標未達の者はそれを咎められる。

この数字を達成しなければ、会社は潰れてしまうのだから。

そういう意味では、その厳しさにロジックがしっかりと通っているのだ。



証券に限らず、ハウスメーカーの営業も、生命保険の営業も、自動車メーカーも、チョコレートのメーカーも同じである。

会社が売上を増やして営業利益を稼ぐために社員は激務にさらされている。



これに対して銀行はどうであろうか。

先述の通り、銀行という商売は貸したお金の金利がメインの収入であるし、その貸出についても銀行員が能動的に動いて借りてもらえることは少ない。

よく「銀行は晴れた日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」と言われるように、その行動はビジネスの観点で隙が少ない。

ゆえに資金需要がなければ借入をしようとする顧客はおらず、積極的な営業活動は他の業態と比して効果が薄い。



銀行は英語で「バンク」という。

その語源は「肘掛け椅子」であり、その名の通り、黙って座っているだけでお金(金利)が舞い込んでくるという商売なのである。



このような商売であるがゆえに銀行という組織は対外的な行為を忘れ、ひたすら内向きな社内政治や社内評価に明け暮れていくのだ。

これが、銀行が人間牧場たる所以である。



その人間牧場に長く住み、家畜化が進んだ行員達を待っているのはーー



つづく

ヤコバシ著

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