わたしにとって、服は心そのもの 。 どんなものもそうだけど とりわけ 服は エネルギー と感じます。 みえないエネルギーが具現化したさまざまな色・形 服はわたしのなかから具現化したもの どこにいるかわからないわたしを 実在させてくれるもの。 だからわたしは 大好きな服が できるだけ たくさん 欲しい いろいろな服がたくさん欲しい 服をたくさん持つことはいけないこと? 断捨離しようと思って大量に持っていた服を捨てました すると、寒々しくてものすごく悲し
いつからこのせかいはつづいているのだろうか でんしゃがとおるひとがおりる こうすいのにおいがする ああ、 あのひとはかこのわたし このひとはみらいのわたし おおきなうずにのみこまれて いそうなきがしてもほんとうは わたしひとり の せかい にいるわたしは どこまでもせかいの いりぐちとでぐちをさがして わたしのなかをおよいでいくでしょう
朝めざめると そこはドームの世界でした やさしい雨が おしえてくれた ああ ここにあの子も住んでいる うれしいな
生きてるきょうに乾杯を あめふりのそらにありがとう はじめましてにさよならを はなせないわたしにはじまりを みつけたきょうに乾杯を
わたしは醜い だれがいった わたしがいった わたしにいった 醜いはなんといった ぼくはわるくないといった ぼくはどこにもいないといった わるいのはだれと わたしはいった きみ、ほんとうは泣いているでしょと 醜いはいった 涙がつたうと愛が溢れた 醜いはどこにも いなかった
この星のどこかで ほんとうは お話が読みたいきみのかわりに いまぼくが とっても大好きなあの本を あたたかなベッドの中でよもう この星のどこかで ほんとうは お家に帰りたいきみのかわりに いまぼくが ママがつくったおいしいごはんを お腹がいっぱいになるまでたべよう この星のどこかで ほんとうは お絵描きがしたいきみのかわりに いまぼくが この世のうつくしい風景を あらゆる色彩を つかって たく
3年前の9月ごろ、言葉がどんどん出てくる時期がありました。わたしにとってその時は人生のターニングポイント。色々な価値観がひっくり返り、自分の人生について深く考えるときでした。 パソコンに向かってひたすら文章を綴っていると、あるときことばが自然と詩の形になっていきました。詩の形のほうが、素直に言いたいことを言えることに気づきました。 ぴったりそのときのわたしにはまったのです。表現したいものには、それに合った容れ物があるんだなあと、素直に感じました。 形のないものをどうにか
あなたは 物語のほしからやってきました あなたは 音のほしからやってきました あなたは とんかちのほしからやってきました あなたは 人見知りのほしからやってきました あなたは やっほーのほしからやってきました みんな それぞれのほしから やってきました
わたしは わたしのために生きても いいんじゃない いろいろなところに散らばった わたしのはへん それらをひろい集めて 形作ることに もう一生懸命になってもいいんじゃない あなたがいるせかいと あなたがいないせかい それはきっと ちがうでしょう あなたがいることでうれしい人が きっと何人もいるでしょう 愛が生まれるところに あなたは生まれ あなたの涙に せかいは生まれる あなたの瞳に 雲が映れば 雲のきれはしにあなたが歌う そっと せか