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同窓会でパラレル世界の私に恐怖する

50歳の記念に同窓会をやるという

あまり同窓会には興味がないが、10年前に顔を出した同窓会で同級生とお付き合いが始まり結婚した私からすると「いくのなんかやめておけ」と言い切れない。
よのなかなにがあるかわからないのですきとか嫌いとかだけじゃないのだ。
ちなみにすでに離婚しています。

さらに10年同窓の皆様とは連絡していない。
そんななか私は同窓生に「パーティーピーポーになった。」「自由すぎる」と言われているらしい。

なぜだろう?

たぶんフェイスブックにちょいちょい投稿している文章を
唯一つながっている同級生がみて
尾ひれがついてはひれがついて、独り歩きしだしたのだろう。
現実の私はパーティーピーポーでもなければ
自由すぎるわけでもない。
普通に会社にいってるし、税金もちょっとだけおさめている。

この50歳の同窓会という色気もなにもない企てのきっかけは一人の女
が5人の男のグループラインに入ったのがきっかけだった。

この女は「私も50にして教員に転職するくらい自由なんだけどフィッシュくんは次元が違う」とラインでいっている。
もと嫁(同級生)が50になって転職した同級生のラインのスクショを送ってきた。確かにちがうと思う。
50になって教員になるのはただの転職だと思う。

私がすっと地元にいたらどうなっていただろうか?と思うとぞっとした。
グループラインを使って次々に招待してくる連絡網のすごさとこわさ

こんなにつながってるものなのか?

話は変わるりますが

同級生の噂ばなしはつよい同調圧力になる

私の特性の1つに、共感性が高いことがある。
人が考えていることや心理状態に同調し易い。
こういった性質が幼少期に功を奏すことはあまりなく
ただいきづらさにつながることのほうが多い。
で、幼少期に自分の思っている自分像と他人に映る自分像が同じである人間ってあまりいないと思っている。
つまり、人に受ける(社会に合う)自分を演じているということで、なんとかうちと外のバランスをとっている。通常会社に勤めるようになってもこの状態は続く。

50のおさんのひとりごと

これは、距離を変えてもつきまとうものであるが、同じ環境に居続けるよりも環境を変えたほうが、自分の違和感は変えやすい。

大学デビューといったっていままでと何ら変わりがないのだけれど
自分の過去をしらない人しらない環境はつらいこととたのしいことがある。私はこれまで14回引っ越しをしたし、2回家じまいをしている。社会人デビューもしたし、転勤デビューもしたしいろいろ。
ほんのちょっとの生きづらさを修正しつづけ、いまにいたっているとおもっています。

ちょっとの修正を繰り返してるんですが、10年ぶりに以前の私を知っている人に会うと別の人間にみえるのかもしれません。

これは一つの場所にいたのでは起こらなかった変化だと思います。
それくらい同調圧力って強いものだと思います。

風の時代が温まってきた今


最近は意図して引っ越ししたいなぁと思うようになりました。
だいぶ恵まれた環境にいるんですが、もうちょっと自由があったほうがよいかなとおもったり。

ワンオペでひとり無双していたのでそろそろチルしたいってのもあるし。

海外に住んでみたいというのもある。

多分さらに10年後に同窓会があったらまた違う人間に見えてるんだろうなと思うのである。



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