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魚釣りやキャンプは、とりあえずやってみる

小学校か中学校のころ。
漁港横の道を歩いていると、釣りをしていた中学生がさわいでいた。

「おい、これチヌじゃねーか」「おー、すげー」「まじか」と喜んでいる。

どうやら、予期せぬ大物が釣れたので喜んでいる。
それを見たわたしも興奮した。

とてもすごいことを成し遂げた人たちに見えた。

それから私はチヌが釣りたいと思うようになった。
ある日、友達の家でファミコンをしていると流れで、ハゼ釣りに行こうということになった。初めての釣り。

翌朝5時に集合ということになり解散。寝坊した私は5時半に友達の家についたが、もうだれもいない。朝っぱらからチャイムを押す勇気もなく退散した。

それから釣りというものが心の奥でずっと沈殿している。
とりあえず「チヌ」より「釣り」に興味をもった。

20代後半くらいになり、それなりに自由にお金や時間が使えるようになった。子供用のリールとセットの竿2000円と1万円の竿と3千円のリールと10合のおもりと20号の重りと25合のおもりを適当に竿にひっ付けてとばした。なぜか、どんなに重いおもりを付けても飛ばない。

とりあえず投げると、3~4時間で3.4匹くらいは釣れるので少しだけ面白くなった。投げ釣りは適当に投げていれば魚は釣れる。ただ魚がいないところでいくら餌を投げても釣れない。
それに気がつくまで7年くらいかかった。
餌を引いてやると手前で釣れたりするのでアクションも大事だったようだ。
人に聞けばいいんだが、苦手なので自己流。
上達も遅い。だからめちゃくちゃ楽しくはならない。

なぜ釣れない?
ぐずぐずと沈殿物をためつづける。

きょうこそはと偶然にかける日々。

対して釣れないし、つまらなくなった。

ウキ釣りがしたくなった。太公望とかスナフキンとかあこがれる。
さすがに釣具屋さんにきく、がいまひとつわからない。
ウキの種類もたくさんある。

なんでウキの真ん中に穴が開いている? これはいまもってわからない。

わからないなりに、初心者セットみたいなで放り投げていた。
案の定釣れないので、投げ釣りとかブッコミとかに変えてみたりして興味が亡くならない程度には釣れたりした。

ある日、チヌを狙おうとおもった。
どうせ釣れないなら、大物をねらって釣れないほうが潔い。

釣具屋さんは「釣れますよ」といつもかんたんにいう。
10回くらいは騙された。

が、このころには時間と場所が大事なのはわかってたので朝早く行って、つれている場所(過去実績のある場所)にいくようになった。

釣れる(だろう)場所にいくと、あまり釣れてない。
自分だけが釣れないんじゃないということに気がつきホッとする。

ただ、釣る人もいる。
その人はその日チヌの大きいのを3匹釣っていた。

魚はいる

魚がいるのに釣れないのは、仕掛けか餌が悪いのだ。
原因の切り分けができると精神的にらくになる。

場所と時間は合格。

それからじっとその釣れる人を観察していた。
ウキ下何センチ、場所、テンポ、など

次の週、釣れていた人と同じ場所に陣取った。
装備は初心者セットのウキに3メートルのもらった竿。
朝5時途中の餌やで撒き餌を購入。なんだかんだで3千円は飛ぶ。これを何年も繰り返している。

リターンがないとじわりとつらい。

無駄金をたれながしていたが、今回は違う。
魚がいる(いた)場所を知っているし、実際釣った人と同じような仕掛け(たぶん)を実装している。

基本的に同じ条件でおなじことをして一方だけが釣れないわけはない。
しらんけど。

今回は運任せではなく、検証にちかい。
運任せだと釣れても釣れなくても自分の実力にカウントもされない。3千円は無駄金となる。

そんな心持で3時間たった朝8時、ウキが沈む。
のそっとしたあたり。
引き上げたら、でっかいチヌがついている。

まじか。こんな感じか。
もっとビクビクくるもんだと思った。
(この予想と現実の違いを実感することが生きることだと思う)

と哲学的なことを考えながらもパニクっていたら、近くの人がタモをだしてくれた。

つれた。

そのチヌは58センチくらいあった。
うれしかった。ワタつきながら家に帰った。

翌週同じ場所で同じ時間でまた58センチくらいのを釣った。
2回めは落ち着きつつ、やはりわた付いた。
(先週より大物、60センチを超えないのが現実である。たまらん。)
興奮して、妻のパート先のクリーニングやまで見せに行った。
迷惑この上ない。

ここにきて、釣りをする、チヌをつるという中学生からの心の沈殿物が成仏した。

2回釣れたのでまぐれではない。その後ねらってグレなどもつるようになった。釣れた感触はグレのほうが数段上、だけど感動がない。

成仏したあとに念仏を唱えているようで味気ない。
めちゃくちゃ凶暴な悪霊(自分のやりのこしたしこり、沈殿物)を退散させたときのアドレナリンや達成感はなく、おじちゃんの釣りのための釣りになった。

中学校ではじめた釣りを40歳でやめた。

振り返れば成仏していない気持ちはまだある

小学生のころから「社長になる」という目標?があった。
「海賊王に俺はなる」というのりではない。
社会に適応できなさそうな自分が生き残る道は決められた社会の中にはなさそうであるということに小学生の時にきがついた。
消極的な気持ちでのスタートだったと思う。

15年ほどサラリーマンをした。「社長になる」という消極的な希望は「こころの沈殿物」と化した。

いろいろいやになったので、ある日契約社員の警備員をはじめた。

その後パートとなる。正社員→契約社員→パート。わかりやすく落ちぶれた。

正社員を続けることはできたかもですが、ほっとくと「こころの沈殿物」はファンタスティック・ビーストの「オブスキュラス」になってたかもしれません。

お金や世間の評判より(自分の)生きやすさを優先します。

いま私は47歳になり、個人事業主となりました。
公的な書類にはパート勤務と書く。まだパート収入の方がだんぜんおおい。

業種はキャンプ場。

ちなみにキャンプをしたことがない。
ここらへんは釣りと同じ。

キャンプ場を始めた理由はそこに土地があったからと、その土地はポテンシャルを持っている(と私がおもっている)こと。

ターゲットは、「温泉と一緒にキャンプを楽しんでくれる人」と設定しました。釣りでいうねらう魚です。

先日キャンプ場を利用してくれた2人組がいました。
「今回のメインは温泉とバイク」
といっていたので、キャンプはカジュアルにしようと決めていたといいます。*惣菜で食事を済ませサクッとねるみたいな

温泉との相乗効果を狙ったわたしがはじめて狙いにハマったパターンです。
釣りで言うところの、仕掛け、場所がうまくハマったというのと同じなので満足感があります。

「社長になる」というきもちは「そこそこ食える事業を持っていて時間が自由になる」ことに変化してましたが、狙いがはまった成功体験はすこしだけ沈殿物を浄化(成仏)させてくれました。

やってみたかったことをやらないままってありますよね?

死ぬときに後悔することって「あれしとけばよかった」ってことらしいです。「最高の人生のみつけかた」というジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの映画があります。死にゆくまえにやり残したリストを潰していくというストーリーです。ちなみにジャック・ニコルソンはべらぼうな金持ちで経済的制限がなくやりたいことができます。

スカッとしたストーリーですが、じっさいやり残したという感情(沈殿物供養できなかったこと)はもっとジトっとした感情な気がします。

年をとったから、「あーあもったいなかったな、やっとけばよかった」くらいになってるかもだけど。

先日、ビリギャルの坪田先生が22歳向けの若者むけのネットにでていた。
そこで若者には「志」を大事にしようといっていた。
こころざし=心が指し示す方を大事にしようとうことらしい。

きょうはカレーが食べたいな的な小さなことから、医学の勉強してきたけどめっちゃ絵が書きたいみたいな人生を左右することまでを心が指し示しているほうを大事にする。

なるほど。

心が指し示している方向に行動していれば、沈殿ぶつがたまることもない。

できる人=沈殿物除去のできる人
成功者=沈殿物除去に成功した人
坪田先生の話を聞いて思った。

みんな家庭の事情、親の期待、環境の縛り、世間の目がある。

ただ、死ぬときに同じ病室にジャック・ニコルソンがいるとは限らない。
そう、釣りやキャンプなんでもいいからやろうと思ったらやっとくのがお得。








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