算数・数学という呪い――はじめに
私は、小学生になるころくらいから、数字に弱かった。
そして、それが克服されることは、ついぞなかった。
いや、もっと厳密にいうと、小さいころから、算数的なセンスがなかったのかもしれない。母親曰く、私は幼少期、パズルを解くのが苦手で、幼児向けのパズルのピースを、はまらない穴にグリグリ押し付けていたという。これを聞いて私は思わず、自分の算数的センスのなさの原理を分かった気になった。
はじめに
「算数・数学」
この言葉に、私は憎悪を覚える。私の今まで生きてきた中で、数学とのかかわりほど苦痛と絶望に満ちた歴史はない。人生の節目においてことあるごとに、巨大な障壁として私の眼前に現れ、人としての尊厳をいともたやすく踏みにじり、嘲笑っていった。私に、「無力感」「無気力感」「罪悪感」を刷り込み、刻み付けた。未来を「絶望感」で染め上げ、時に死へといざなおうとした。私の生きてきた四半世紀を支配した強烈なる劣等感の源泉といってよい。
平成が終わろうとしている今年、私は人生の進路として、企業に勤める道を選んだ。新しい世界と、自分の行動の影響力の幅が広がったことへの、期待感を覚えた。可能性が開けたことへの希望が垣間見えた。
しかし、それも束の間であった。過去に数学と共に積み上げた劣等感が再び噴出し、私は息を詰まらせた。「無能感」「絶望感」に再び襲われた。「能力が頭打ちとなって、これから堕落していく歴史を歩んでいくんだ」と耳元でささやいた。顎をつかみ、振り向かせ、目の前にその醜い「徒労」の結果を突きつけた。
このままではいけない。ここで、この惨劇を終わらせなければならない。やつらに、このまま舵を握らせないために、今、ここに筆を執る。
これから綴るのは、私の数学との死闘の記録である。非常に弱気になることが書いてあり、益にならず、毒にしかならぬ文章であるから、不快に思う人はここで読むことをやめることをお勧めする。
それでも読んでいただけるという人が、もしいたら、こんな弱い私と、苦しい時を共にしてくれることを感謝する。
これから、時系列を追って、算数・数学とのかかわりの歴史を整理する。そして、特に鮮明に覚えている事実や事件について、現在の感情と劣等感がいかに生まれたかを同時に記していこうと思う。そして、ここでの吐露を生まれた感情の弔いとする。
第1章は、小学校低学年のイギリスでの生活を描いていく。勉強らしい勉強は、この時期に始まり、ここでの算数とのかかわりが、その後のかかわり方に決定的影響を与えた。そして小学校の高学年における、中学受験での算数とのかかわりを描き出す。ここではただの「嫌いなこと」から、明確に劣等感へと姿を変えていく、その変遷を追う。
そして第2章においては、中学・高校での、より高度になった「数学」との苦闘を記していく。記憶が最も鮮明で、罪悪感も明確にあるだけに、過去ではなく、現在へとつづく明確な布石としての記録である。
最後の第3章は、そうした体験から、どういうコンプレックスに苦しんでいるのか、心の内を綴る。
さて、はじまりの第1章は、小学校の1年生でイギリスへ渡る時点からはじめよう。時は2000(平成12)年。誕生日を迎える前の6歳から、時系列を追ってみようと思う。