傷の話

「何をどうすれば、そんなに傷だらけになれるんだ」

呆れ半分、怒り半分。そんな声音が零された。
プロポーズを受けてくれてからダグシティにある自宅に帰った後の話だ。テイの身体についたいくつもの傷痕をドティスは一つ一つ丁寧に診察していた。
無理矢理にソファに座らされて、今はドティスに逃げられないよう見下されている最中だ。目に見える範囲でも跡が目立つものが多い傷痕たちを、彼女は苛立ちながらも見定めていく。
そういえば昔から怪我にはうるさかった気もするがここまでだっただろうか、とテイは頬を掻きながら言い訳を考えていた。

「あー…大抵ポケモンバトルに巻き込まれた結果かなぁ」
「巻き込まれるような無謀なバトルを続けていたということか………」
「違うって、熱中しちゃうとつい、な?」

ただでさえ鋭い眼光がより細められて、慌てて顔の前で手を大袈裟に振る。
大きなため息が吐かれたと同時、軽く傷痕が叩かれた。説明しろとでも言うような仕草に、テイは部屋の中で再会を味わっていた手持ちたちをちらりと横目で見た。
視線に気が付いたのか彼らははっとテイの顔を見たのち、それぞれに申し訳なさそうな、気まずそうな、或いは苛立たしそうな表情を浮かべた。
苦笑を返した後、テイは再びドティスを見上げる。

「言わなきゃダメか?」
「解放されたいならな」
「……分かったよォ」

有無を言わせない圧を感じて、渋々といったようにテイは傷一つ一つを指さしていく。

右目の傷は相棒のオセアンが進化した時のもの。身体の頑丈さに慣れていない彼に抱き着いた際、大きな鰭で大袈裟に引っ掻いてしまったもの。
それ以降オセアンが自身より小柄な相手に遠慮をしている事を知っているテイは、あまりオセアンの前で傷の話題は出さないようにしていた。
案の定視界の端で、オセアンが居心地悪そうに身を縮こまらせている。悪かったのは無邪気に抱き着いた自分なのだから気にしなくていいのにと何度も伝えたものだが、こればかりは彼の心の問題だ。

他にも、腕についた傷の状況もドティスに伝えていく。
昔手持ちに入れていたオーロンゲの大雑把なバトルに巻き込まれたもの、ユラが岩技を習得するための練習中に出来てしまったもの、モジェを捕まえる際に足場が崩れて落石に潰されかけたもの___。
話せば話すほどにドティスは不快そうな顔をして、手持ちたちも不安そうに二人のやりとりを眺めていた。

「……じゃあ、これはなんだ」

ひとつわざとらしく話題を逸らした傷痕に、ドティスは指を這わせた。
左肩に出来た、一際大きな十字傷。それに触れた途端にアスピリンの傍で寛いでいたマレが、苛立たしそうに舌打ちをした様子が見えた。

「あー……他と似たようなモンだよ」
「……………」

雑な誤魔化しに乗ってくれるほど、ドティスは易しくない。
大袈裟にはぁ、と大きなため息が吐かれたかと思えば、ドティスは訳を知っていそうな付き合いの古い手持ちたちへ視線を向けた。
オセアンは苦々しそうな顔をして、モーリは凪いだ瞳でじっと二人を眺めている。何よりもマレの刺すような視線に気が付いたようで、ドティスは再び息を吐いた。

「言え」
「…………………」
「このまま夜を明かしたくないだろう」

コツコツ、と床を靴底で鳴らす音が響く。
マレの厳しい視線には慣れたものだが、そこにドティスの圧まで加わればテイに抵抗などできるはずがなかった。
諦めてゆっくりと瞬きをしてから、テイはドティスの視線を正面から受け止める。

「…スッゲー懐いてくれてた、プルリルがいたんだよ」

その一言で察したらしい。ドティスの表情が、分かりやすく歪んだように見えた。
だから言いたくなかったんだ、とテイは苦笑を浮かべる。海に生命を引きずり込むポケモンの話なんて、ドティスにとっては悪夢以外の何物でもないのだろうから。

それでも離れていた空白の時間を知ってもらう糧になるならと、ぽつぽつと話を続ける。

凡そ10年ほど前のこと。人間に虐げられて怪我をしていたプルリルを保護したことが始まりだった。
手当をしてもらったことを余程喜んだのか、或いは他の要因か。プルリルは他のポケモンたちとは分かりやすく違って、テイへの"愛情"を表現して甘えてくるような子だった。
種族の差も当然ながら、テイの心にはずっとドティスの存在があった。応じることは決してせずに、あくまでトレーナーとポケモンとしての信頼を育もうと努力をしていたつもりだった。

「ブルンゲルに進化したら、まあ力も強くなるわな。海に近寄るたびにちょっかいかけてきてさぁ」
「………」
「まぁ…大体は愛情確認みたいな可愛い悪戯ばっかだったんだけど。ちょっと色々あって、マジで溺れかけたんだよな」

これはその時についた傷、とわざと明るく答えてみせる。
痛々しい顔でじっと話を聞いていたドティスは、何度か口を開き掛けて、閉じてを繰り返して。
やっと返された言葉に、今度はテイが頬をひきつらせた。

「…きっかけになるような要因が、あったんだな」

分かりやすく表情を固めたテイに、ドティスは傷を撫でてからソファの隣へと腰掛けた。
控えめに寄り添ってくる仕草は、きっとドティスなりの気遣いと慮りなのだろう。それがまた愛おしくて、幸福が胸を締め付ける。
同時にそれは、テイが負った"傷"を理解しようとする歩み寄りなのだと、何よりも実感した。

「……その頃一緒に旅してた、ダチがいたんだ」

優しく賢くて、バトルも育成も、世渡りも人付き合いも。すべてが尊敬できる先輩だった。
怪我を負ったプルリルを最初に見つけたのも彼だった。今思えば、それが全ての始まりだったのだろう。

ある時初めて本気で、ブルンゲルに海へと引き摺り込まれた。
水面で必死に腕を藻掻いて、吸い込み切れない酸素を必死に追って、近くにいたはずの友人へ助けを求めた。
その時に彼が言った言葉が、テイにも聞こえてしまっていた。

『ほら、もう少しで君の願いは叶います』
『手に入らない相手だとしても、君の領域へ連れて行ってしまえば彼は永遠に貴女のものですよ』

笑顔でブルンゲルに話しかける彼を見て、彼女も嬉しそうに微笑んでいた。信頼していたはずのふたりが、苦しんでいる自身の姿を楽しんでいるのだとその時はじめて気が付いた。

「その時はマレがブルンゲルも旅仲間もウッドホーンでぶっ飛ばしてさ。いやぁ、あんときのマレの鬼の表情ったら」

わざとらしい明るい声音で、一息でそこまで話した。けれどもそれ以上の言葉が出てこなくて、すぐに室内には静寂が訪れる。

少し間を置いたのち、マレがゆっくりと立ち上がる。そうしてから手入れが施された立派な角で、テイの頬を勢いよく横薙ぎに叩いた。
思わず固まってしまったテイをよそに、マレはドティスへと顔を向ける。
マレは瞼を閉じて頭部を下げ、鼻先をドティスの手へと摺り寄せた。
その仕草が謝罪を表していると、言葉が通じずとも理解するには容易かったことだろう。

「……馬鹿だな」

やっと零されたドティスの言葉に、はっとテイが顔を上げる。
そこに含まれている感情なんて、彼女の手持ちたちであれば当然__そして、幼い日のドティスを見ていた幼馴染たちも理解していた。

マレを優しく撫でながら、ドティスが恐る恐るといったようにテイの肩に頭を寄せる。まだ遠慮と恐れを含んでいるであろうその仕草に、何故かテイが泣きそうになってしまって。出てこない言葉の代わりに、細い肩をしっかりと抱き寄せる。
辛うじて、ごめんの一言だけが言葉として発された。

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