知らないでいてほしいもの
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痛そうな描写があるよ。
藻掻けば藻掻くほど水が口から入り込み、呼吸を潰す。俺が暴れないようにと海底の岩場に押さえつけてくる彼女の眼は、嬉しそうに弧を描いていた。
水中で意識を手放しかけたとき、ごぼりと泡が生じた音が辛うじて鼓膜を揺らす。自分を誘い込むヴェール状の触手が離れてからやっと、慌てた様子の相棒に抱き寄せられたのだと気が付く。
パワーウィップを放ち触手やシャドーボールを搔い潜りながら、水中でオセアンは咆哮を上げる。必死に追いかけてきていたブルンゲルは怒ることはなく、ただ哀しそうに顔を歪めた。
オセアンに連れられて、やっとのことで水面に顔を出す。海水で焼けた喉が酷い咳を零しながら、必死に呼吸を再開させた。
海水を吐き出させようとモーリが柔らかい羽を器用に使い俺の背中を撫でる。その温かさに安心をしながらも、それでも体に巻き付いた薄い触手の感覚が拭いきれなくて鳥肌の立った腕を思わず抱えた。そこで初めて体の痛みに気が付き顔が歪む。岩に押さえつけられた時に出来たであろう、深い裂傷に海水がしみ込み痛みを生んでいた。
意識が反れていたのは確かだ。それでも少し考えれば、彼女がそうすることは思い至ったはずなのに。
視界の端で光が弾けた。モンスターボールが展開する際のそれだと気が付き、はっと顔を上げる。声を上げたときにはもう遅かった。
激高したマレが、友人の腹へとその硬い角をめり込ませていた。
メブキジカの全力のウッドホーンを生身の人間が食らえばどうなるかなんて、想像したくもない。軽く吹き飛んだ友人の身体を追い駆けた勢いのまま、マレは前足を持ち上げた。彼の頭部を狙い、踏み潰そうとしているのだと察した。
「待て…っ」
必死に張り上げた声がどれほどの声量だったのかは分からない。それでも確かにマレには届いたようで、足を止めてこちらを振り返った。その目に宿った苛立ちと怒りは、血に濡れた俺の身体を見て心配の色へとすぐに転じる。
我ながらどこにそんな体力があったかは分からないが、反射的に駆け出してマレの背中に抱き着くように体を預ける。自分のために激高してくれていることは分かっていても、それが原因で彼女が人間を傷つけることなどあってはならない。一時の感情は満足したとして、それは今後一生彼女に付きまとうことになる。自分が貶められることよりも、それが一番嫌だった。
「もういい、俺は大丈夫だから」
だから落ち着いてくれと、必死にマレの背中を宥めようと撫で続けた。マレが不安げに鼻を擦り寄らせたときだ。低い唸り声と共に友人が立ち上がったのは。
機嫌が悪そうに唸るアシレーヌに支えられやっと立てると言った様子の傷。彼は血の零れる腹部を抑えながらもなお、笑っていた。
なんで、と自然な疑問が口から零れ出た。
友人はいつも通りの柔らかい笑顔で、なんてことのない雑談のようにあっさりと告げた。
「君みたいな子の絶望する顔が、見たかったから」
言葉が通じなくても、通じ合うことはできる。
そう信じて今までポケモンともひととも関わって来た。それでも、生まれて初めての類の恐怖を知った。
言葉は通じるのに、こうも見ている世界が違う人間がいるのかと。
柔らかく抓られた頬に小さく抗議の声を上げながらも、彼女の手に自身の手を重ね合わせる。
話題に引きずられて自然と思い出してしまうのは、あの時の血の赤と友人のなんら変わりない穏やかな笑顔。
我ながらよくあんな男と旅をしていたよなぁ、とか。あいつが純粋に猫被りうますぎるんだろうな、とか。痛々しい記憶を覆い隠すように、現実逃避に近い思考が浮かんでは消えていく。
何よりもこちらを見つめるドティスの瞳が、あの日のマレの我を忘れた表情とどうしても被って見えてしまった。大事な家族にあんな表情をさせてしまった己の不甲斐なさと、道を踏み外させかけてしまった恐怖は今でも燻ぶっている。
だからこの言葉が反射で出てきてしまうのは仕方のないことだと思う。
「嫌だ」
「は?」
「いや、違くて。俺のことでそんなに怒ってくれるのも、俺がティスのものだって言ってくれるのも嬉しいよ」
実際その通りだ、と笑顔を向ければドティスは目を小さく見張ったのちに再び表情を強張らせる。
じゃあ何故言えないのかとその視線が語り掛けてくる。
その目線に苦笑を返して、抱き寄せていた体の向きを変えてゆっくりと抱きしめた。
「俺のせいで、誰かを嫌いになって欲しくないじゃん」
あいつだって十分痛い目を見たのだし、何よりもう二度と会うことはないのだろうから、そんな相手のことで心を痛めてほしくない。
それ以上に、ドティスにあいつのことを知って欲しくなかった。自分の至らなさのせいで誰かに暗い感情を向けてほしくは、なかった。
「そんな話より、もっと楽しい話しようぜ。旅の間に会ったポケモンとかさ…」
また大雑把に話題を逸らしたためか、腕の中でドティスが無言の後に身じろぎをする。
伸ばされた腕に先ほどより強く頬が抓られてしまい、ただ苦笑を浮かべることしかできなかった。
***
書いてて思ったけど思った以上にテイのトラウマかもしれないな(無自覚)